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慎思録 / 巻之三

梅福曰。存人所以自立也。壅人所以自塞也。葢言存人則人亦立我。壅人則人亦塞我。譬如父慈則子必孝。君仁則臣必忠。父不慈則子必不孝。君不仁則臣必不忠。惟如影之隨形。響之應聲。是即感應自然之理也。夫君子之存人也。非爲求自立。猶君子之事親而爲孝者。盡在我當爲之道而巳。何有意于求父之慈乎。葢亦特言其有自然之效而巳。凡言效者。所以勵中人以下也。如君子之爲善也。不汲汲乎此。

新字:梅福曰。存人所以自立也。壅人所以自塞也。葢言存人則人亦立我。壅人則人亦塞我。譬如父慈則子必孝。君仁則臣必忠。父不慈則子必不孝。君不仁則臣必不忠。惟如影之随形。響之応声。是即感応自然之理也。夫君子之存人也。非為求自立。猶君子之事親而為孝者。尽在我当為之道而巳。何有意于求父之慈乎。葢亦特言其有自然之効而巳。凡言効者。所以励中人以下也。如君子之為善也。不汲汲乎此。

書き下し

梅福曰く、人を存するは自ら立つ所以なり。人を壅ぐは自ら塞ぐ所以なり、と。蓋し人を存すれば則ち人も亦我を立て、人を壅げば則ち人も亦我を塞ぐを言ふ。譬へば父慈なれば則ち子必ず孝に、君仁なれば則ち臣必ず忠に、父慈ならざれば則ち子必ず孝ならず、君仁ならざれば則ち臣必ず忠ならざるが如し。惟影の形に随ひ、響の声に応ずるが如し。是れ即ち感応自然の理なり。夫れ君子の人を存するや、自ら立つを求むるが為に非ず。猶ほ君子の親に事へて孝を為すや、我に在りて当に為すべきの道を尽くすのみなるがごとし。何ぞ父の慈を求むるに意有らんや。蓋し亦特に其の自然の効有るを言ふのみ。凡そ効を言ふ者は、中人以下を励ます所以なり。君子の善を為すが如きは、此に汲汲たらず。

現代語訳

梅福は「人を生かすのは自分を立てるためであり、人をふさぐのは自分をふさぐことである」と言いました。思うに、人を生かせば人もまた自分を立て、人をふさげば人もまた自分をふさぐ、ということです。たとえば父が慈しめば子は必ず孝行し、君主が仁であれば臣下は必ず忠実になり、父が慈しまなければ子は必ず孝行せず、君主が仁でなければ臣下は必ず忠実でないようなものです。まさに影が形に従い、響きが声に応じるようなものです。これが感じ応じる自然の理です。しかし君子が人を生かすのは、自分が立つことを求めるためではありません。君子が親に仕えて孝行するのは、自分がなすべき道を尽くすだけで、父の慈しみを求める気持ちがないのと同じです。これはただ自然にそういう効果があることを言っただけです。およそ効果を言うのは、中程度以下の人を励ますためです。君子が善を行うときは、こうしたことにあくせくしません。

解説

前漢末の梅福が成帝に上書した言葉「人を存するは自ら立つ所以、人を壅ぐは自ら塞ぐ所以なり」(『漢書』梅福伝)を引き、人を生かせば自分も生かされるという感応の理を説きます。ただし益軒は、君子はその見返りを目的に人を生かすのではないと付け加え、効果を説くのは中人以下を励ますための方便だとします。『論語』雍也篇の「己立たんと欲して人を立つ」を思わせる内容です。人を育てれば自分も助けられるのは事実ですが、見返りを求めずに行うときにこそ本物の信頼が生まれることを教えています。

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