士道心得書 / 常は正道・變は詭道
正氣を以て用とす。然るに常變との用差別有り。常用は正道を以てす、變用は詭道を以す。然るに人々士の道と用と辨へず、用るに亦常變不正、故に混雜して、詭道を以て全くす、士の道と心得違ふ事、是本を明かにせざるの誤りなり。孫子曰、兵者詭道也と。云處の道は、武道の道に不有、如何ぞ此道に過り可有哉。故孫子兵者と云へり。戰に臨ては詭道也と云事なり。戰は變也。既に合戰に至て、勝負に臨んでは、殊勝らしき正道仁義、仁者に無敵抔といふやふ成る事にて、勝負の埒明く事に不有。王道仁義全き論にては、合戰は有まじ。唯聖人の敵へにて治平す。然共就中末世に及び、人の心直不成、君臣父子兄弟朋友の道皆不變といふ事なし、變なる時は、兵道にあらざれば、何ぞ是を治めん哉。聖人の道を守り、天下治る時は、詭道の變、兵家者流の舌頭を動かすに不及。又仁者に無敵といふは、大王の德の如し。先其身仁者に成つての上の事也。今の世に唯仁者といふ理有るのみにて、實に仁者はなし。
新字:正気を以て用とす。然るに常変との用差別有り。常用は正道を以てす、変用は詭道を以す。然るに人々士の道と用と弁へず、用るに亦常変不正、故に混雑して、詭道を以て全くす、士の道と心得違ふ事、是本を明かにせざるの誤りなり。孫子曰、兵者詭道也と。云処の道は、武道の道に不有、如何ぞ此道に過り可有哉。故孫子兵者と云へり。戦に臨ては詭道也と云事なり。戦は変也。既に合戦に至て、勝負に臨んでは、殊勝らしき正道仁義、仁者に無敵抔といふやふ成る事にて、勝負の埒明く事に不有。王道仁義全き論にては、合戦は有まじ。唯聖人の敵へにて治平す。然共就中末世に及び、人の心直不成、君臣父子兄弟朋友の道皆不変といふ事なし、変なる時は、兵道にあらざれば、何ぞ是を治めん哉。聖人の道を守り、天下治る時は、詭道の変、兵家者流の舌頭を動かすに不及。又仁者に無敵といふは、大王の徳の如し。先其身仁者に成つての上の事也。今の世に唯仁者といふ理有るのみにて、実に仁者はなし。
書き下し
正氣を以て用とす。然るに常變との用差別有り。常の用は正道を以てし、變の用は詭道を以てす。然るに人々士の道と用とを辨へず、用ゐるに亦常變不正、故に混雜して、詭道を以て全くするを、士の道と心得違ふ事、是れ本を明かにせざるの誤りなり。孫子曰く、兵は詭道なりと。云ふ處の道は、武道の道に有らず、如何ぞ此の道に過り有るべけんや。故に孫子兵者と云へり。戰に臨みては詭道なりと云ふ事なり。戰は變なり。既に合戰に至りて、勝負に臨んでは、殊勝らしき正道仁義、仁者に敵無しなど云ふやうなる事にて、勝負の埒明く事に有らず。王道仁義全き論にては、合戰は有るまじ。唯だ聖人の敵へにて治平す。然れ共就中末世に及び、人の心直ならず、君臣父子兄弟朋友の道皆變ぜずといふ事なし、變なる時は、兵道にあらざれば、何ぞ是を治めん哉。聖人の道を守り、天下治まる時は、詭道の變、兵家者流の舌頭を動かすに及ばず。又仁者に敵無しといふは、大王の德の如し。先づ其の身仁者に成りての上の事なり。今の世に唯だ仁者といふ理有るのみにて、實に仁者はなし。
現代語訳
正しい気を用(はたらき)とします。ただし、平常と異変とでは用い方に違いがあります。平常の用いは正道により、異変の用いは詭道によります。ところが人々は士の道と用を弁えず、用いるにも平常と異変、正と不正を混同して、詭道ですべてを済ませるのを士の道だと取り違えています。これは根本を明らかにしていない誤りです。孫子は兵とは詭道なりと言いました。そこでいう道は武道の道ではありません。どうして道を誤るなどということがありましょうか。だから孫子は兵者と言ったのです。戦に臨んでは詭道だという意味です。戦は変です。いざ合戦となり勝負に臨んで、立派そうな正道や仁義、仁者に敵なしなどという議論で勝負がつくものではありません。王道や仁義が完全に行われる世なら、合戦は起こらないでしょう。ただ聖人の徳が敵を従えて泰平となるのです。しかし末世になり、人の心が素直でなくなると、君臣父子兄弟朋友の道もみな変わらないものはありません。変のときは、兵の道でなければどうやってこれを治められましょう。聖人の道を守って天下が治まっているなら、詭道の変は兵家が弁じる必要もありません。また仁者に敵なしというのは、偉大な王の徳のことです。まず自分自身が仁者になったうえでの話です。今の世には、ただ仁者という理屈があるだけで、実際の仁者はいません。
解説
この章句が説くこと
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『士道心得書』・詭道は敵に向ける故に禍亂に及ぶ時、變を治むるに至りては、詭道に有らずば、何を以てすべき哉。世の愚者、兵法疎くして、經書の片端を聞きはつり、僞といふ事をさみわるく思ひて、聖賢の常を治むる道の眞似を致したがり、色々異說を云ひて、是れ却つて兵道に對して不僞成る哉、孫子の心に有らず。かくいへば、亦詭道を武士の全體の道と思ひて、不變の常々君臣父子夫婦兄弟朋友の間に詭道を用ゐる事、是れ又大に誤れり。詭道は敵に對しての用なり、弓箭劍戟に同じ。如何ぞ味方に向ひて劍戟を用ゐる事有らん。又智計謀の三ッは詭道の事と心得る、是れ又大に相違す。謀智計は要本なり。正にも詭にも、萬物に此の三要を以てせずば全かるべからず、人々能く勘辨せよ。武士は天下の邪曲を正し、正道正義にせん爲にこそ、しばらく詭道を用ひて、人を隨へ、天下國家を治む。去れば正の爲に僞を用ゐ、僞の爲に不僞を用ゐず。僞を能くするものは正道を得る、詭を知りて正を行ふものは國家を得る、正を知りて詭を知らざるものは國家を亡ぼす。此に於て門人能く心を付くべきなり。
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