神皇正統記 / 巻二 第十六代 応神天皇
此故に古の聖人、「道は須臾もはなるべからず。はなるべきは道にあらず。」と云けり。但其の末を学びて源を明めざれば、ことにのぞみて覚えざる過あり。其源と云は、心に一物をたくはへざるを云ふ。しかも虚無の中に留るべからず。天地あり、君臣あり。善悪の報影響の如し。己が欲をすて、人を利するを先として、境々に対すること、鏡の物を照すが如く、明々として迷はざらんを、まことの正道と云べきにや。代くだれりとて自ら苟むべからず。天地の始は今日を始とする理なり。加之、君も臣も神をさること遠からず。常に冥の知見をかへりみ、神の本誓をさとりて、正に居せんことを心ざし、邪なからんことを思給べし。
書き下し
此故に古の聖人、「道は須臾もはなるべからず。はなるべきは道にあらず。」と云けり。但其の末を学びて源を明めざれば、ことにのぞみて覚えざる過あり。其源と云は、心に一物をたくはへざるを云ふ。しかも虚無の中に留るべからず。天地あり、君臣あり。善悪の報影響の如し。己が欲をすて、人を利するを先として、境々に対すること、鏡の物を照すが如く、明々として迷はざらんを、まことの正道と云べきにや。代くだれりとて自ら苟むべからず。天地の始は今日を始とする理なり。加之、君も臣も神をさること遠からず。常に冥の知見をかへりみ、神の本誓をさとりて、正に居せんことを心ざし、邪なからんことを思給べし。
現代語訳
このゆえに古の聖人は、「道はしばらくも離れてはならない。離れてよいものは道ではない」と言った。ただしその末を学んで源を明らかにしなければ、事に臨んで気づかない過ちがある。その源というのは、心に一物も蓄えないことをいう。しかも虚無の中にとどまってはならない。天地があり、君臣がある。善悪の報いは、影が形に、響きが声に従うように確かである。己の欲を捨て、人を利することを先として、あらゆる場面に向き合うのに、鏡が物を照らすように明らかで迷わないことを、まことの正道というべきであろう。世が下ったからといって自らいい加減にしてはならない。天地の始まりは今日を始めとする道理である。そのうえ、君も臣も神から遠く離れてはいない。常に見えない神の知見を顧み、神の本誓を悟って、正しさに身を置くことを志し、邪なことのないようにお思いになるべきである。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻二 第十六代 応神天皇とあり。されば二所宗廟の御心をしらんと思はゞ、只正直を先とすべき也。大方天地の間ありとある人、陰陽の気をうけたり。不正にしてはたつべからず。こと更に此国は神国なれば、神道にたがひては一日も日月をいたゞくまじきいはれなり。倭姫の命人にをしへ給けるは「黒心なくして丹心をもて、清潔斎慎。左の物を右にうつさず、右の物を左にうつさずして、左を左とし右を右とし、左にかへり右にめぐることも万事たがふことなくして、太神につかうまつれ。元々本々故なり。」となむ。まことに、君につかへ、神につかへ、国ををさめ、人ををしへんことも、かゝるべしとぞおぼえ侍。すこしの事も心にゆるす所あれば、おほきにあやまる本となる。周易に、「霜を履堅氷に至。」と云ことを、孔子釈しての給はく、「積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃あり。君を弑し父を弑すること一朝一夕の故にあらず。」と云り。毫釐も君をいるかせにする心をきざすものは、かならず乱臣となる。芥蔕も親をおろそかにするかたちあるものは、果して賊子となる。
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『神皇正統記』巻一 鏡を本とす中にも鏡を本とし、宗廟の正体とあふがれ給。鏡は明をかたちとせり。心性あきらかなれば、慈悲決断は其中にあり。又正く御影をうつし給しかば、ふかき御心をとゞめ給けんかし。天にある物、日月よりあきらかなるはなし。仍文字を制するにも「日月を明とす。」と云へり。我神、大日の霊にましませば、明徳をもて照臨し給こと陰陽におきてはかりがたし。冥顕につきてたのみあり。君も臣も神明の光胤をうけ、或はまさしく勅をうけし神達の苗裔也。誰か是をあふぎたてまつらざるべき。此理をさとり、其道にたがはずは、内外典の学問もこゝにきはまるべきにこそ。
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇天道も神明もいかにともせぬことなれど邪なるものは久しからずしてほろび、乱たる世も正にかへる、古今の理なり。これをよくわきまへしるを稽古と云ふ。昔人をえらびもちゐられし日は先徳行をつくす。徳行おなじければ、才用あるをもちゐる。才用ひとしければ労効あるをとる。又徳義・清慎・公平・恪勤の四善をとるともみえたり。格条には「朝に廝養たれども夕に公卿にいたる。」と云ことの侍るも、徳行才用によりて不次にもちゐらるべき心なり。寛弘よりあなたには、まことに才かしこければ、種姓にかゝはらず、将相にいたる人もあり。寛弘以来は、譜第をさきとして、其中に才もあり徳もありて、職にかなひぬべき人をぞえらばれける。世の末に、みだりがはしかるべきことをいましめらるゝにやありけん、「七け国の受領をへて、合格して公文といふことかんがへぬれば、参議に任ず。」
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