慎思録 / 巻之三
君子之娯樂也。常好閑淡。中庸曰。君子之道。淡而不厭。葢樂閑淡。則久而不厭。且有餘味。樂閙濃。則不久而厭。亦無餘味。况好樂而荒。則樂未盡。而憂既生乎。
新字:君子之娯楽也。常好閑淡。中庸曰。君子之道。淡而不厭。葢楽閑淡。則久而不厭。且有余味。楽閙濃。則不久而厭。亦無余味。況好楽而荒。則楽未尽。而憂既生乎。
書き下し
君子の娯楽や、常に閑淡を好む。中庸に曰く、君子の道は、淡にして厭はず、と。蓋し閑淡を楽しめば、則ち久しくして厭はず、且つ余味有り。閙濃を楽しめば、則ち久しからずして厭ひ、亦余味無し。况んや楽しみを好みて荒めば、則ち楽しみ未だ尽きずして、憂ひ既に生ずるをや。
現代語訳
君子の楽しみは、いつも静かで淡いものを好みます。『中庸』に「君子の道は淡くて飽きない」とあります。思うに、静かで淡いものを楽しめば、長く続いても飽きず、しかも後に味わいが残ります。騒がしく濃いものを楽しめば、長く続かずに飽き、後に味わいも残りません。まして楽しみを好んでおぼれれば、楽しみがまだ尽きないうちに、もう憂いが生まれるのです。
解説
『中庸』第三十三章の「君子の道は、淡にして厭はず、簡にして文、温にして理」を引き、楽しみ方の質を論じた一条です。淡い楽しみは長続きして余韻があり、濃い楽しみはすぐ飽きて後に何も残らないという対比は、益軒の『楽訓』の主題とも重なります。「楽しみを好みて荒む」は『詩経』唐風・蟋蟀の「楽しみを好みて荒むこと無かれ」を思わせます。刺激の強い娯楽ほど飽きやすく疲れを残すことは誰もが経験するところで、長く味わえる静かな楽しみを持つことの価値を思い出させてくれます。
この章句が説くこと
楽閑淡中庸余味節度
関連する章句
-
『慎思録』巻之五安楽の時に当たりて、其の安楽を知らず。故に其の安楽を楽しむこと能はざる者は、常人の情なり。所謂蓼虫の辛きを知らざるの類なり。必ず憂患の時を渉りて、而る後に前時の安楽を知りて之を思ふ。君子は然らず。其の安楽の時に当たるや、必ず其の安楽を知りて之を楽しむ。所謂其の位に素して行ひ、其の外を願はざるなり。
-
『慎思録』巻之六書に曰く、王敬して所と作すと。往くとして敬に居らざること無きを言ふなり。学者常に当に此くの如くすべし。又須らく楽を以て所と作すべし。則ち動静語黙、出入起居、往くとして楽に居らざること無し。須らく敬と楽と並び行はれて相悖らずして可なり。然り而して敬を先にして楽を後にすべし。苟も敬せずして楽を先にすれば、則ち必ず流れて放縦と為る。年老いて外事無き者は、楽を以て所と作すことを忘れざるべし。蓋し従容悠緩は、是れ老年の宜なり。然り而して詩に曰く、楽しみを好むも荒むこと勿かれ、良士は瞿瞿たりと。
-
『慎思録』巻之一天地は大寒大暑、大風大雨、迅雷地震、大変の時に方ると雖も、其の太和を失はず。是を以て万物を発育して、生理息まず。人は艱難多事の時、窮困危変の時に方り、横逆払戻の事に遇ふと雖も、従容自得、随処にして之を楽しむの工夫を忘るべからず。中庸の所謂君子は其の位に素して行ひ、入るとして自得せざること無しといふ者なり。苟も此くの如くならざれば、則ち天地の和気と相似ず。
-
『酔古堂剣掃』集醒・切に再び一滴を加ふるを忌む盈滿に居る者は、水の將に溢れんとして未だ溢れざるが如し、切に再び一滴を加ふるを忌む。危急に處る者は、木の將に折れんとして未だ折れざるが如し、切に再び一搦を加ふるを忌む。
-
『酔古堂剣掃』集峭・縟なれば則ち太だ過ぐ奇曲雅樂は、淫を禁ずる所以なり、錦繡黼黻は、暴を禦ぐ所以なり。縟なれば則ち太だ過ぐ、是を以て檀卿は鄭聲を刺り、周人は北里を傷む。
-
『慎思録』巻之五声色臭味の人の耳目口鼻を悦ばしむる者は、多くして枚陳すべからず。君子は其の雅正にして淡薄なる者を取りて、以て其の身を養ふ。損無くして益有る所以なり。且つ之を求めて得易し。小人は其の不正にして濃厚なる者を取りて、以て其の欲を逞しくす。損有りて益無き所以なり。且つ之を求めて得難し。