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慎思録 / 巻之三

本邦古來無鞭朴捶楚之刑。有罪則斬之。苟擇罪之輕者。刑之以笞杖。施之以肉刑。則免寃殺者多矣。朱子大學或問曰。萬物各具一理。而萬理同出一原。此所以可推而無不通也。又曰。物我一理纔明彼即曉此。合內外之道也。又曰。人之理不異於己。物之理不異於人也。愚謂。此言欲致其知者在格物也。所以心之爲明者。因知物之理也。苟不能格物。則此心只是蠢然頑物而已。何以可開發聰明致其知耶。

新字:本邦古来無鞭朴捶楚之刑。有罪則斬之。苟択罪之軽者。刑之以笞杖。施之以肉刑。則免冤殺者多矣。朱子大学或問曰。万物各具一理。而万理同出一原。此所以可推而無不通也。又曰。物我一理纔明彼即暁此。合内外之道也。又曰。人之理不異於己。物之理不異於人也。愚謂。此言欲致其知者在格物也。所以心之為明者。因知物之理也。苟不能格物。則此心只是蠢然頑物而已。何以可開発聰明致其知耶。

書き下し

本邦古来鞭朴捶楚の刑無く、罪有れば則ち之を斬る。苟も罪の軽き者を択びて、之を刑するに笞杖を以てし、之に施すに肉刑を以てせば、則ち冤殺を免るる者多からん。朱子の大学或問に曰く、万物各々一理を具へて、万理同じく一原より出づ。此れ推して通ぜざる無かるべき所以なり、と。又曰く、物我一理、纔かに彼を明らかにすれば即ち此を暁る。内外を合するの道なり、と。又曰く、人の理は己に異ならず、物の理は人に異ならざるなり、と。愚謂へらく、此の言は其の知を致さんと欲する者は物を格すに在るなり。心の明為る所以は、物の理を知るに因るなり。苟も物を格すこと能はずんば、則ち此の心は只是れ蠢然たる頑物のみ。何を以て聡明を開発して其の知を致すべけんや。

現代語訳

わが国には昔から、むちや棒で打つ刑がなく、罪があれば斬ってしまいます。もし罪の軽い者を選んで、むちや杖で罰し、身体に施す刑を用いれば、無実や過酷な死刑を免れる者が多いでしょう。朱子の『大学或問』に「万物はそれぞれ一つの理を具えていて、すべての理は同じ一つの源から出ている。だから推し広めて通じないものはない」とあり、また「物と我とは一つの理であり、あちらを明らかにすればすぐこちらも分かる。内と外とを合わせる道である」とあり、また「人の理は自分と異ならず、物の理は人と異ならない」とあります。私が思うに、この言葉は、知を極めようとする者は物の理を窮めることにある、ということです。心が明らかになるのは、物の理を知ることによるのです。もし物の理を窮めることができなければ、この心はただ愚かでかたくなな物にすぎません。どうして聡明を開いて知を極めることができましょうか。

解説

二つの話題が一条にまとめられています。前半は、軽い罪にも死刑が科されがちな当時の武家の刑罰を批判し、笞杖などの段階的な刑を設ければ冤殺を減らせると提言したものです。後半は、朱子の『大学或問』の格物致知論を引き、心が明らかになるのは物の理を知ることによると説きます。「万理同じく一原より出づ」は理一分殊の表現です。罪の軽重に応じた処分を設けること、外の事物を学ぶことで心の知が開けるということ、どちらも段階と積み重ねを重んじる考え方です。

この章句が説くこと

刑罰格物致知仁政

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