慎思録 / 巻之三
大凡戒人敎人之道。宜以漸而寬。然不可倦怠。今人之敎人也。不急迫則倦怠。此二者。非爲敎之道。孟子曰。才也養不才。中也養不中。養謂涵育薰陶之功無間斷。而俟其自化也。如是則無急迫倦怠二者之過失。所謂敬敷五敎在寬。是也。敬者不倦怠也。在寛者不急迫也。是敎人之節度也。
新字:大凡戒人教人之道。宜以漸而寛。然不可倦怠。今人之教人也。不急迫則倦怠。此二者。非為教之道。孟子曰。才也養不才。中也養不中。養謂涵育薫陶之功無間断。而俟其自化也。如是則無急迫倦怠二者之過失。所謂敬敷五教在寛。是也。敬者不倦怠也。在寛者不急迫也。是教人之節度也。
書き下し
大凡人を戒め人を教ふるの道は、宜しく漸を以てして寛なるべし。然れども倦怠すべからず。今人の人を教ふるや、急迫ならざれば則ち倦怠す。此の二者は、教を為すの道に非ず。孟子曰く、中や不中を養ひ、才や不才を養ふ、と。養ふとは涵育薫陶の功間断無くして、其の自ら化するを俟つを謂ふなり。是の如くなれば則ち急迫倦怠の二者の過失無し。所謂敬みて五教を敷くは寛に在り、是れなり。敬とは倦怠せざるなり。寛に在りとは急迫せざるなり。是れ人を教ふるの節度なり。
現代語訳
およそ人を戒め人を教える道は、少しずつゆったりと行うのがよいのです。しかし怠ってはなりません。今の人が人を教えるさまは、せっかちでなければ怠けています。この二つは教える道ではありません。孟子は「中正の徳ある者が中正でない者を養い、才ある者が才のない者を養う」と言いました。養うとは、ひたし育て、香をたきしめて染めるような働きを絶え間なく続けて、その人が自ら変わるのを待つことです。そうすれば、せっかちと怠りの二つの過ちはありません。『書経』のいう「慎んで五つの教えを敷くのは、寛やかさにある」がこれです。敬(慎む)とは怠らないこと、寛にあるとは急がないことです。これが人を教える節度です。
解説
教育の要を「急迫しない」と「倦怠しない」の二点にまとめた一条です。『孟子』離婁下の「中や不中を養ひ、才や不才を養ふ」と、『書経』舜典で舜が契に命じた「敬みて五教を敷くは寛に在り」を引きます。益軒は「敬」を怠らないこと、「寛」を急がないことと読み解き、両者を教育の節度としました。涵育薫陶とは、じっくり浸し香りを移すように感化することです。結果を急いで叱りつけることも、放任することも避け、根気よく関わり続けることは、部下や子どもを育てる基本です。
この章句が説くこと
教育寛敬薫陶節度
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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