尚書 / 太甲下
惟天無親,克敬惟親;民罔常懷,懷于有仁
新字:惟天無親,克敬惟親;民罔常懐,懐于有仁
書き下し
惟れ天は親しむこと無く、克く敬する惟れ親しむ。民は常に懐くこと罔く、仁有るに懐く。
現代語訳
天は特定の誰かを偏愛することはなく、よく敬う者にこそ味方する。民もまた誰かに定まって懐くことはなく、仁のある者にこそ懐く。
解説
天も人々の心も、生まれや地位で誰かを特別扱いすることはなく、日々の敬う姿勢や仁のある振る舞いに応じて信頼を寄せる。肩書きや過去の実績にあぐらをかいていれば、周囲の支持はいつの間にか離れていく。逆に、誠実に人を敬い思いやる態度を続ける者には、自然と人が集まってくる。信頼とは与えられるものではなく、日々の行いによって築かれるものだと、この一句は教えている。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
敬仁信頼
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『大和俗訓』巻之三・心術上一人にまじはるに愛敬の二を心法とす。是簡要のことなり。誰も知らずんばあるべからず。愛とは人をあはれむを云ふ。悪まざるなり。敬とは人をうやまふを云ふ。侮らざるなり。人をあはれむは仁なり。人を敬ふは礼なり。仁礼を心の内にたもちて、人をあはれみ、人をうやまふ事、わするべからず。是人に対して行ふべき善なり。父母をあはれみ、主君をうやまふは、いふに及ばず、うとき人、いやしき人に対すとも、其位にしたがひて、よきほどに愛敬すべし。侮りおろそかにすべからず。是人にまじはる道なり。
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言志四録・言志後録 第百二十条 艮背の工夫艮背の工夫は、神其の室を守る。即ち敬なり、即ち仁なり。起居食息、放過すべからず。空に懸り影を捕ふるの心学に非ず。
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