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慎思録 / 巻之三

凡其爲人也。口多毀譽者。其所是非。雖中于理。終是非君子之事。况不中于理者乎。只胸中涇渭別。口頭毀譽鮮者。可爲良士也。夫物之不齊。物之情也。人之禀性亦然。若夫原性之本然。則無有不善。所謂理一也。至各成其性。則不能齊一。有淸濁純駁厚薄剛柔明暗敏鈍。其高下品格。或相什佰。或相千萬。所謂分殊也。欲强一之。則不可也。

新字:凡其為人也。口多毀誉者。其所是非。雖中于理。終是非君子之事。況不中于理者乎。只胸中涇渭別。口頭毀誉鮮者。可為良士也。夫物之不斉。物之情也。人之禀性亦然。若夫原性之本然。則無有不善。所謂理一也。至各成其性。則不能斉一。有清濁純駁厚薄剛柔明暗敏鈍。其高下品格。或相什佰。或相千万。所謂分殊也。欲強一之。則不可也。

書き下し

凡そ其の人と為りや、口に毀誉多き者は、其の是非する所、理に中ると雖も、終に是れ君子の事に非ず。况んや理に中らざる者をや。只胸中に涇渭別れて、口頭に毀誉鮮き者は、良士と為すべきなり。夫れ物の斉しからざるは、物の情なり。人の禀性も亦然り。若し夫れ性の本然を原ぬれば、則ち不善有る無し。所謂理一なり。各其の性を成すに至りては、則ち斉一なること能はず。清濁純駁厚薄剛柔明暗敏鈍有り。其の高下品格、或いは相什佰し、或いは相千万す。所謂分殊なり。強ひて之を一にせんと欲するは、則ち不可なり。

現代語訳

およそ人柄として、口に誉めたりそしったりすることの多い者は、その是非の判断が理に当たっていても、結局は君子のすることではありません。まして理に当たっていない者はなおさらです。ただ胸の中では清流と濁流のように善し悪しがはっきり分かれていて、口では毀誉の少ない者こそ、良い士といえます。そもそも物が一様でないのは物の本来のありさまです。人の生まれつきの性質も同じです。性の本来の姿をたずねれば、不善はありません。いわゆる「理は一つ」です。それぞれが性を形づくるに至っては一様ではありえず、清濁・純雑・厚薄・剛柔・明暗・敏鈍があります。その高下や品格は、十倍百倍、千倍万倍も違います。いわゆる「分は殊なる」です。無理に一つにしようとしてはなりません。

解説

前半は、心の中で善悪をはっきり見分けながら口では人を論じない者を良士とする教えです。涇水と渭水は清濁がはっきり分かれる川として知られます。後半は、『孟子』滕文公上の「夫れ物の斉しからざるは、物の情なり」を引き、朱子学の「理一分殊」で人の多様性を説きます。性の本来は同じく善でも、気質の違いで人は千差万別になり、無理に揃えることはできません。人を一律の基準で裁かず、違いを前提に接するという考えは、多様なメンバーと働く今の職場でこそ生きる視点です。

この章句が説くこと

毀誉理一分殊多様良士

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