慎思録 / 巻之三
兄弟有伯仲叔季之序。日本古昔伯稱太郞。仲稱次郞。叔稱三郞。季稱四郞。近世其稱顚倒失次序。兄稱十郞。弟稱五郞之類往往皆然。有志于正名之士。宜復古制。是亦正名之一端也。正其名。而天下之法定矣。
新字:兄弟有伯仲叔季之序。日本古昔伯称太郎。仲称次郎。叔称三郎。季称四郎。近世其称顛倒失次序。兄称十郎。弟称五郎之類往往皆然。有志于正名之士。宜復古制。是亦正名之一端也。正其名。而天下之法定矣。
書き下し
兄弟に伯仲叔季の序有り。日本古昔は伯を太郎と称し、仲を次郎と称し、叔を三郎と称し、季を四郎と称す。近世其の称顛倒して次序を失ふ。兄を十郎と称し、弟を五郎と称するの類、往往皆然り。名を正すに志有るの士は、宜しく古制に復すべし。是れも亦名を正すの一端なり。其の名を正して、天下の法定まる。
現代語訳
兄弟には伯・仲・叔・季の順序があります。日本では昔、長男を太郎、次男を次郎、三男を三郎、四男を四郎と呼びました。近ごろはその呼び名が逆さまになって順序を失い、兄を十郎と呼び弟を五郎と呼ぶような類が、しばしばみなそうなっています。名を正すことに志のある士は、昔の制度に戻すべきです。これも名を正すことの一つです。名を正してこそ、天下の法が定まるのです。
解説
兄弟の通称の順序の乱れを、『論語』子路篇の「必ずや名を正さんか」に結びつけた一条です。孔子は、名が正しくなければ言葉が順わず、事が成らず、礼楽も刑罰も当を得ないと説きました。益軒は、太郎・次郎という身近な呼び名にも秩序があり、それを乱さないことが正名の一端だと言います。十郎・五郎の例は曾我兄弟の通称を念頭に置いたものと思われます。役職名や用語の使い方がばらばらだと組織の混乱を招くように、名と実を一致させることは今も秩序の基本です。
この章句が説くこと
正名名分秩序兄弟礼
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