慎思録 / 巻之三
靑箱雜記曰。張齊賢作詩自警。兼遺子孫。雖詞語質朴。而事理切當。足爲規戒。本邦平時賴作和歌百首。以爲規戒。蜷川親當亦作和歌二百首。而爲箴諫。然此二人皆無學識。故其詞鄙俚。其意亦可者鮮矣。有志于世敎者。撰古歌之意義可者。又別作和歌。以曉兒女及卑幼之輩。亦庶乎有益于人。
新字:青箱雑記曰。張斉賢作詩自警。兼遺子孫。雖詞語質朴。而事理切当。足為規戒。本邦平時頼作和歌百首。以為規戒。蜷川親当亦作和歌二百首。而為箴諫。然此二人皆無学識。故其詞鄙俚。其意亦可者鮮矣。有志于世教者。撰古歌之意義可者。又別作和歌。以暁児女及卑幼之輩。亦庶乎有益于人。
書き下し
青箱雑記に曰く、張斉賢詩を作りて自ら警め、兼ねて子孫に遺す。詞語質朴なりと雖も、事理切当にして、規戒と為すに足る、と。本邦の平時頼和歌百首を作り、以て規戒と為す。蜷川親当も亦和歌二百首を作りて、箴諫と為す。然れども此の二人は皆学識無し。故に其の詞鄙俚にして、其の意も亦可なる者鮮し。世教に志有る者、古歌の意義可なる者を撰び、又別に和歌を作りて、以て児女及び卑幼の輩を暁さば、亦人に益有るに庶からん。
現代語訳
『青箱雑記』に「張斉賢は詩を作って自らを戒め、あわせて子孫に残した。言葉は素朴だが、事の筋道はぴったり当たっていて、戒めとするに足りる」とあります。わが国では北条時頼が和歌百首を作って戒めとし、蜷川親当も和歌二百首を作って戒めとしました。しかしこの二人はどちらも学識がありませんでした。それでその言葉は卑俗で、意味も良いものが少ないのです。世の教化に志のある者が、古歌のうち意味のよいものを選び、また別に和歌を作って、子どもや女性、目下の者たちを諭せば、人に役立つでしょう。
解説
『青箱雑記』は北宋の呉処厚の筆記で、宰相張斉賢の自警の詩を記します。日本では北条時頼に仮託された教訓歌や、室町時代の蜷川親当(智蘊)の名を冠した教訓歌があり、益軒はその言葉の卑俗さを惜しみます。前出の歌謡による教化の提案と同じく、学識ある者が古歌を選び新たに和歌を作って子どもや目下を諭せと説きます。難しい教えを分かりやすく覚えやすい形にすることは、益軒の著作活動全体を貫く方針でした。伝えたい内容を相手に届く形に作り直す工夫の大切さを教えています。
この章句が説くこと
和歌教化戒め世教平易
関連する章句
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『慎思録』巻之五本朝の歌詠は、微婉にして温雅、且つ精巧を極むる者多し。恐らくは中夏の歌詩と争ひて頡頏を為すべし。若し乃ち国字の文章は、専ら艶麗を務むと雖も、而して体製柔媚なり。然れども其の奇巧なる者数家は、亦以て倭歌に亜ぐべし。若し夫れ本邦の詩文は、古昔名家の製と雖も、中華の作者と比讎を為すに足らず。故に本朝の詩文を以て之を和歌和文に較ぶれば、其の巧拙雅俗、日を同じくして談ずべからず。此れ豈に国俗と土宜とに合はざるに縁るに非ずや。
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『慎思録』巻之五和歌は、我が国俗の宜しき所にして、詞意通暁し易し。故に古人の歌詠は極めて精絶なり。古昔婦女と雖も、亦之を能くする者多し。唐詩は、本邦の風土の宜しき所に非ず。其の詞韻国俗の言語に異なり、中華に模倣し難し。故に古昔の名家と雖も、其の作る所拙劣にして、和歌に及ばざること遠し。我が邦は只和歌を以て其の志を言ひ其の情を述ぶべし。拙詩を作りて以て詅癡符の誚りを招くことを要せず。
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『慎思録』巻之三朱子曰く、孝弟忠信人倫日用の間の事の如きは、播きて楽章と為し、人をして之を歌はしめ、周礼の読法に倣ひて、偏く郷村聚落に示さば、亦今の粉壁に書する所の条禁に代ふべし、と。篤信謂ふ、今の世苟も人有りて、国字を以て楽章を作り、頗る古雅にして諷誦し易からしめ、孝弟忠信人倫日用の道を説き、之に混ずるに古人の嘉言善行を以てして、歌謡と為し、人に教へて詠歌せしめば、世教に補有るに庶幾からん。今の俗謡の中、音声頗る淫哇ならざる者有り。然れども其の歌章と曲節との如きは、教と為すべからず。夫れ楽は、以て風を移し俗を易へ、人をして感化せしむべし。善悪皆然り。然らば則ち其の声音歌章は、正さざるべからず。
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