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慎思録 / 巻之三

飮食男女宮室衣服財利器玩。得之爲我有。皆是耳目口體之所爲快。而心之所欲也。人身所欲。不過此數者。是雖人情之所不能無。然貪之而無節。則必禍害生矣。其所快將盡。而憂患忽至。故曰。快意事過必爲殃。遜志齋曰。樂未既。而憂繼之者。人之欲也。張文潜藥戒曰。天下之理。其初有甚快於予心者。其末必有傷。求無傷於終者。則初無望於快吾心。禮曰。以道制欲。則樂而不亂。以欲忘道。則惑而不樂。誠哉斯言也。

新字:飲食男女宮室衣服財利器玩。得之為我有。皆是耳目口体之所為快。而心之所欲也。人身所欲。不過此数者。是雖人情之所不能無。然貪之而無節。則必禍害生矣。其所快将尽。而憂患忽至。故曰。快意事過必為殃。遜志斎曰。楽未既。而憂継之者。人之欲也。張文潜薬戒曰。天下之理。其初有甚快於予心者。其末必有傷。求無傷於終者。則初無望於快吾心。礼曰。以道制欲。則楽而不乱。以欲忘道。則惑而不楽。誠哉斯言也。

書き下し

飲食男女宮室衣服財利器玩は、之を得て我が有と為す。皆是れ耳目口体の快と為す所にして、心の欲する所なり。人身の欲する所は、此の数者に過ぎず。是れ人情の無き能はざる所なりと雖も、然れども之を貪りて節無ければ、則ち必ず禍害生ず。其の快とする所将に尽きんとして、憂患忽ち至る。故に曰く、快意の事過ぐれば必ず殃と為る、と。遜志斎曰く、楽しみ未だ既きずして、憂ひ之に継ぐ者は、人の欲なり、と。張文潜の薬戒に曰く、天下の理、其の初め甚だ予が心に快き者有れば、其の末必ず傷ること有り。終に傷ること無きを求むる者は、則ち初め吾が心を快くすることを望むこと無し、と。礼に曰く、道を以て欲を制すれば、則ち楽しみて乱れず。欲を以て道を忘るれば、則ち惑ひて楽しまず、と。誠なるかな斯の言や。

現代語訳

飲食、男女、住まい、衣服、財利、器物や玩具は、手に入れて自分のものにします。どれも耳・目・口・体の快とするもので、心の欲するものです。人の身が欲するものは、この数種類にすぎません。これは人情としてないわけにはいかないものですが、むさぼって節度がなければ、必ず禍や害が生じます。その快楽が尽きようとするとき、憂いや災いがたちまちやって来ます。だから「快い事が度を過ぎれば必ず災いとなる」と言うのです。方孝孺(遜志斎)は「楽しみがまだ尽きないうちに、憂いがそれに続くのは、人の欲である」と言いました。張耒(文潜)の「薬戒」には「天下の理として、初めにひどく心を快くするものは、終わりに必ず害がある。終わりに害のないことを求めるなら、初めに心を快くすることを望んではならない」とあります。『礼記』に「道によって欲を制すれば、楽しんで乱れない。欲によって道を忘れれば、惑って楽しめない」とあります。まことにこの言葉のとおりです。

解説

欲の対象を列挙し、節度のない追求は必ず殃を招くと説きます。遜志斎は明の方孝孺の号、張文潜は北宋の張耒で、その「薬戒」は即効の薬ほど後に害があるという文章です。結びは『礼記』楽記の「道を以て欲を制すれば、則ち楽しみて乱れず」です。益軒は『養生訓』で「内欲をこらえる」ことを養生の根本とし、快楽を否定せず節度をもって味わうことを説きました。すぐに気持ちよいことほど後に代償があるという知恵は、衝動買いや過食、夜更かしなど日常の選択にそのまま当てはまります。

この章句が説くこと

節度快楽養生

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