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荀子 / 正名篇

性者、天之就也;情者、性之質也;欲者、情之應也。以所欲為可得而求之,情之所必不免也。以為可而道之,知所必出也。故雖為守門,欲不可去,性之具也。雖為天子,欲不可盡。欲雖不可盡,可以近盡也。欲雖不可去,求可節也。所欲雖不可盡,求者猶近盡;欲雖不可去,所求不得,慮者欲節求也。道者、進則近盡,退則節求,天下莫之若也。

新字:性者、天之就也;情者、性之質也;欲者、情之応也。以所欲為可得而求之,情之所必不免也。以為可而道之,知所必出也。故雖為守門,欲不可去,性之具也。雖為天子,欲不可尽。欲雖不可尽,可以近尽也。欲雖不可去,求可節也。所欲雖不可尽,求者猶近尽;欲雖不可去,所求不得,慮者欲節求也。道者、進則近尽,退則節求,天下莫之若也。

書き下し

性なる者は天の就せるなり、情なる者は性の質なり、欲なる者は情の応なり。欲する所を以て得べしと為して之を求むるは、情の必ず免れざる所なり。以て可と為して之を道びくは、知の必ず出ずる所なり。故に守門を為すと雖も、欲は去るべからず、性の具なればなり。天子と為ると雖も、欲は尽くすべからず。欲は尽くすべからずと雖も、以て尽くすに近づくべきなり。欲は去るべからずと雖も、求むるは節すべきなり。欲する所は尽くすべからずと雖も、求むる者は猶お尽くすに近づく。欲は去るべからずと雖も、求めて得ざれば、慮る者は求むるを節せんと欲す。道なる者は、進めば則ち尽くすに近づき、退けば則ち求むるを節す。天下に之に若くもの莫し。

現代語訳

性とは天が仕上げたものであり、情とは性の実質であり、欲とは情の反応である。欲しいものを手に入れられると思って追い求めるのは、情としてどうしても避けられないことである。それを「よし」と認めたうえで正しく導いていくのは、知恵が必ず果たすべき仕事である。だから、たとえ門番のような低い身分の者であっても、欲を無くすことはできない。欲は生まれつきの性に備わっているからである。たとえ天子であっても、欲を全部満たし尽くすことはできない。欲は満たし尽くせないけれども、満たし尽くすことに近づくことはできる。欲は無くせないけれども、求め方を節することはできる。欲するものを満たし尽くすことはできないが、それでも求める者は満たし尽くすことに近づいていく。欲は無くせないけれども、求めても得られないとき、思慮ある者は求め方を節しようとする。道というものは、進むときは満たし尽くすことに近づかせ、退くときは求め方を節させる。天下に、これに及ぶものはない。

解説

前段を受けて、欲との正しいつき合い方を示す段です。荀子はまず、性・情・欲を一本の線でつなぎます。天から与えられた性があり、その実質として情があり、情の反応として欲が生まれる。だから欲は誰にも無くせません。身分の低い門番であろうと欲は消えず、天子であろうと欲を全部満たすことはできない。そこで荀子が持ち出すのが「道」です。道に従えば、進むときは望みの実現に近づき、引くときは求め方に節度がつく。欲を否定するのでも野放しにするのでもなく、進むと退くの両方を賢く調節する基準になるのが道だ、というわけです。私たちの生活でも、欲そのものを敵に回すと長続きしません。何を追い、どこで引くか。その基準を持つこと。それが荀子の言う道の、きわめて実用的な意味です。

この一句を、あなたの毎日に。

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