慎思録 / 巻之三
先王之禱祠。以共皇天上帝名山大川四方神。以祠宗廟社稷之靈。以爲民祈福。是以災害不生。禍亂不起。有家者。嚴禋于鬼神。克諧禮樂。故休祥應之矣。由上下交泰。幽明相協。何則有其誠。則有其神。其爲民祈福。以太公無我之心。宜乎有神明感通之理也。詩曰。愷弟君子。求福不囘者。其斯之謂與。苟祈己之福祿。禳己之疾病。禳之無道。祠之無禮。鬼神豈可感應而降之福祥乎。
新字:先王之祷祠。以共皇天上帝名山大川四方神。以祠宗廟社稷之霊。以為民祈福。是以災害不生。禍乱不起。有家者。厳禋于鬼神。克諧礼楽。故休祥応之矣。由上下交泰。幽明相協。何則有其誠。則有其神。其為民祈福。以太公無我之心。宜乎有神明感通之理也。詩曰。愷弟君子。求福不囘者。其斯之謂与。苟祈己之福禄。禳己之疾病。禳之無道。祠之無礼。鬼神豈可感応而降之福祥乎。
書き下し
先王の禱祠は、以て皇天上帝名山大川四方の神に共へ、以て宗廟社稷の霊を祠り、以て民の為に福を祈る。是を以て災害生ぜず、禍乱起らず。家を有つ者は、鬼神に厳禋し、克く礼楽を諧ふ。故に休祥之に応ず。上下交泰し、幽明相協ふに由る。何となれば則ち其の誠有れば、則ち其の神有り。其の民の為に福を祈るは、太公無我の心を以てす。宜なるかな神明感通の理有ること。詩に曰く、愷弟の君子、福を求めて回ならず、と。其れ斯の謂か。苟も己の福禄を祈り、己の疾病を禳ひ、之を禳ふに道無く、之を祠るに礼無くば、鬼神豈に感応して之に福祥を降すべけんや。
現代語訳
古の王の祈りと祭りは、天の上帝、名山大川、四方の神に供え、宗廟と社稷の霊を祭って、民のために福を祈るものでした。それで災害が起こらず、禍や乱れが起こりませんでした。家を持つ者は、鬼神を厳かに祭り、礼楽をよく調和させました。だからめでたいしるしがそれに応じたのです。上と下とが通じ合い、目に見えない世界と見える世界が調和したからです。なぜなら、誠があればそこに神があるからです。民のために福を祈るのは、大いに公平で私のない心によります。神明が感じ通じる理があるのももっともです。『詩経』に「和らぎ楽しむ君子は、福を求めるのに邪な道によらない」とあるのは、このことでしょう。もし自分の福や禄を祈り、自分の病を払おうとして、払うのに道がなく、祭るのに礼がなければ、鬼神がどうして感応して福を降すでしょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之三闕里誌に載す。朱子語録に曰く、宣聖は本当に像を設くべからず。春秋の祭の時、只木主を設けて祭りて可なり、と。丘瓊山曰く、塑像の設は、中国に之無し。仏教の中国に入りしより、始めて有るなり。三代以前神を祀るに、皆主を以てし、所謂像設無きなり。彼の異教之を用ふるは、怪しむに足る無き者なり。知らず吾が聖人を祀る者は、何れの時にして始めて像を為すかを、と云ふ。李元瓘の顔子立ちて侍すと言ふを観れば、則ち像は唐の前に在りて已に有るなり。嗚呼、姚燧言へる有り、北史に敢て泥人銅人を造る者有らば、門誅す、と。則ち泥人は固より中土の主を為りて以て聖人を祀るの法に非ざるなり。後世其の非を覚る莫く、亦其の道に化して之を為す。甚だ神にして之を明らかにし、声無く臭無きの道に非ざるなり。
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易経・彖伝「中孚(ちゅうふ)」は、柔内に在りて剛中を得、説(よろこ)びて巽(したが)い、孚(まこと)乃(すなわ)ち邦(くに)を化するなり。「豚魚(とんぎょ)も吉なり」とは、信の豚魚に及べばなり。「大川を渉(わた)るに利(よ)ろし」とは、木に乗りて舟虚(むな)しければなり。中孚もって貞(ただ)しきに利ろしとは、乃ち天に應(おう)ずるなり。
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
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『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。