翁問答 / 下卷之末之末
有天下者祭百神、諸侯在其地則祭之、亡其地則不祭、王爲群姓立社、曰大社、王自爲立社、曰王社諸侯爲百姓立社、曰國社、諸侯自爲立社、曰侯社、大夫以下成群立社曰置社王爲群姓立七祀、曰司命、曰中霤、曰國門、曰國行、曰泰厲、曰戶、曰竈、王自爲立七祀諸侯爲國立五祀、曰司命、曰中霤、曰國門、曰國行、曰公厲。諸侯自爲立五祀、大夫立三祀、曰族厲、曰門、曰行、適士立二祀、曰門、曰行、庶士庶人立一祀或立戶或立竈夫聖王之制祭祀也、法施於民則祀之、以死勤事、則祀之、以勞定國則祀之、能禦大菑則祀之、能捍大患則祀之。及夫日月星辰、民所瞻仰也、山林川谷丘陵、民所取財用也、非此族也、不在祀典論語曰、祭神如神在。
新字:有天下者祭百神、諸侯在其地則祭之、亡其地則不祭、王為群姓立社、曰大社、王自為立社、曰王社諸侯為百姓立社、曰国社、諸侯自為立社、曰侯社、大夫以下成群立社曰置社王為群姓立七祀、曰司命、曰中霤、曰国門、曰国行、曰泰厲、曰戸、曰竈、王自為立七祀諸侯為国立五祀、曰司命、曰中霤、曰国門、曰国行、曰公厲。諸侯自為立五祀、大夫立三祀、曰族厲、曰門、曰行、適士立二祀、曰門、曰行、庶士庶人立一祀或立戸或立竈夫聖王之制祭祀也、法施於民則祀之、以死勤事、則祀之、以労定国則祀之、能禦大菑則祀之、能捍大患則祀之。及夫日月星辰、民所瞻仰也、山林川谷丘陵、民所取財用也、非此族也、不在祀典論語曰、祭神如神在。
書き下し
天下を有つ者は百神を祭る、諸侯は其の地に在れば則ち之を祭り、其の地を亡へば則ち祭らず、王、群姓の為に社を立つるを大社と曰ひ、王自ら為に社を立つるを王社と曰ふ、諸侯、百姓の為に社を立つるを国社と曰ひ、諸侯自ら為に社を立つるを侯社と曰ふ、大夫以下群を成して社を立つるを置社と曰ふ、王、群姓の為に七祀を立つ、司命と曰ひ、中霤と曰ひ、国門と曰ひ、国行と曰ひ、泰厲と曰ひ、戸と曰ひ、竈と曰ふ、王自ら為に七祀を立つ、諸侯、国の為に五祀を立つ、司命と曰ひ、中霤と曰ひ、国門と曰ひ、国行と曰ひ、公厲と曰ふ。諸侯自ら為に五祀を立つ、大夫は三祀を立つ、族厲と曰ひ、門と曰ひ、行と曰ふ、適士は二祀を立つ、門と曰ひ、行と曰ふ、庶士庶人は一祀を立つ、或いは戸を立て或いは竈を立つ、夫れ聖王の祭祀を制するや、法の民に施せば則ち之を祀り、死を以て事に勤むれば則ち之を祀り、労を以て国を定むれば則ち之を祀り、能く大菑を禦げば則ち之を祀り、能く大患を捍げば則ち之を祀る。夫の日月星辰に及びては、民の瞻仰する所なり、山林川谷丘陵は、民の財用を取る所なり、此の族に非ざれば、祀典に在らず、論語に曰く、神を祭ること神在すが如くす。
現代語訳
「天下を治める者は百神を祭る。諸侯はその地にあればその神を祭り、地を失えば祭らない。王が民のために立てる社を大社といい、王が自らのために立てる社を王社という。諸侯が民のために立てる社を国社といい、自らのために立てる社を侯社という。大夫以下が集まって立てる社を置社という。王は民のために七祀を立てる。司命・中霤・国門・国行・泰厲・戸・竈である。王は自らのためにも七祀を立てる。諸侯は国のために五祀を立てる。司命・中霤・国門・国行・公厲である。諸侯は自らのためにも五祀を立てる。大夫は三祀を立てる。族厲・門・行である。適士は二祀を立てる。門・行である。庶士・庶人は一祀を立て、戸か竈を祀る。そもそも聖王が祭祀を定めるには、民に法を施した者を祀り、命をかけて事に励んだ者を祀り、苦労して国を安定させた者を祀り、大災害を防いだ者を祀り、大きな患いを退けた者を祀る。日月星辰は民が仰ぎ見るものであり、山林川谷丘陵は民が財用を取るものである。これらの類でなければ祀典に載せない」とある。『論語』には「神を祭るときは神がそこにおられるかのようにする」とある。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之三先王の禱祠は、以て皇天上帝名山大川四方の神に共へ、以て宗廟社稷の霊を祠り、以て民の為に福を祈る。是を以て災害生ぜず、禍乱起らず。家を有つ者は、鬼神に厳禋し、克く礼楽を諧ふ。故に休祥之に応ず。上下交泰し、幽明相協ふに由る。何となれば則ち其の誠有れば、則ち其の神有り。其の民の為に福を祈るは、太公無我の心を以てす。宜なるかな神明感通の理有ること。詩に曰く、愷弟の君子、福を求めて回ならず、と。其れ斯の謂か。苟も己の福禄を祈り、己の疾病を禳ひ、之を禳ふに道無く、之を祠るに礼無くば、鬼神豈に感応して之に福祥を降すべけんや。
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『慎思録』巻之三闕里誌に載す。朱子語録に曰く、宣聖は本当に像を設くべからず。春秋の祭の時、只木主を設けて祭りて可なり、と。丘瓊山曰く、塑像の設は、中国に之無し。仏教の中国に入りしより、始めて有るなり。三代以前神を祀るに、皆主を以てし、所謂像設無きなり。彼の異教之を用ふるは、怪しむに足る無き者なり。知らず吾が聖人を祀る者は、何れの時にして始めて像を為すかを、と云ふ。李元瓘の顔子立ちて侍すと言ふを観れば、則ち像は唐の前に在りて已に有るなり。嗚呼、姚燧言へる有り、北史に敢て泥人銅人を造る者有らば、門誅す、と。則ち泥人は固より中土の主を為りて以て聖人を祀るの法に非ざるなり。後世其の非を覚る莫く、亦其の道に化して之を為す。甚だ神にして之を明らかにし、声無く臭無きの道に非ざるなり。
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礼記・祭統凡そ人を治むるの道は、礼より急なるは莫し。礼に五経有り、祭より重きは莫し。夫れ祭は、物の外より至る者に非ざるなり、中より出でて心に生ずるなり。心怵(じゅつ)して、これを奉ずるに礼を以てす。是の故に、唯だ賢者のみ能く祭の義を尽くす。 賢者の祭るや、必ずその福を受く。世の所謂福に非ざるなり。福とは、備なり。備とは、百順の名なり。順わざる所無き者、これを備と謂う。内は己に尽くし、外は道に順うを言うなり。忠臣は以てその君に事え、孝子は以てその親に事う。その本は一なり。上は則ち鬼神に順い、外は則ち君長に順い、内は則ち以て親に孝なり。此くの如き、これを備と謂う。唯だ賢者のみ能く備え、能く備えて然る後に能く祭る。是の故に、賢者の祭るや、その誠信とその忠敬とを致し、これを奉ずるに物を以てし、これを道(みちび)くに礼を以てし、これを安んずるに楽を以てし、これを参(まじ)うるに時を以てす。明らかにこれを薦むるのみ。その為を求めず。此れ孝子の心なり。
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国語・楚語下子期平王を祀り、祭るに牛俎を以て王に於てす。王観射父に問いて曰く、「祀牲何くにか及ぶ」と。対えて曰く、「祀は挙に加う。天子は挙ぐるに大牢を以てし、祀るに会を以てす。諸侯は挙ぐるに特牛を以てし、祀るに太牢を以てす。卿は挙ぐるに少牢を以てし、祀るに特牛を以てす。大夫は挙ぐるに特牲を以てし、祀るに少牢を以てす。士は魚炙を食らい、祀るに特牲を以てす。庶人は菜を食らい、祀るに魚を以てす。上下序有れば、則ち民慢(あなど)らず」と。 王曰く、「其の小大何如」と。対えて曰く、「郊禘(こうてい)は繭栗(けんりつ)に過ぎず、烝嘗(じょうしょう)は把握に過ぎず」と。王曰く、「何ぞ其れ小なるや」と。対えて曰く、「夫れ神は精明を以て民に臨む者なり、故に備物を求めて、豊大を求めず。是を以て先王の祀や、一純・二精・三牲・四時・五色・六律・七事・八種・九祭・十日・十二辰を以て之を致し、百姓・千品・万官・億醜、兆民の経入畡数(がいすう)以て之を奉じ、明徳以て之を昭らかにし、和声以て之を聴かしめ、以て遍く至るを告ぐれば、則ち休(さいわい)を受けざる無し。毛は以て物を示し、血は以て殺を告げ、誠を接し抜取して以て具を献ずるは、斉敬の為なり。敬は久しくすべからず、民力堪えず、故に斉粛以て之を承く」と。
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礼記・郊特牲郊は特牲(とくせい)にして、社稷(しゃしょく)は大牢(たいろう)なり。天子、諸侯に適(ゆ)けば、諸侯膳するに犢(こうし)を用う。諸侯、天子に適けば、天子これに礼を賜うに大牢をもってす。誠を貴ぶの義なり。故に天子は牲の孕めるを食らわず、帝を祭るにも用いざるなり。大路は繁纓(はんえい)一就、先路は三就、次路は五就。郊は血、大饗は腥(せい)、三献は爓(せん)、一献は熟。至敬は味を饗せずして気臭を貴ぶなり。諸侯賓と為れば、灌(かん)するに鬱鬯(うっちょう)を用う。灌するに臭を用うるなり。大饗は腶修(だんしゅう)を尚ぶのみ。大饗には、君は三重の席にして酢(さく)す。三献の介には、君は専席にして酢す。これ尊を降して以て卑に就くなり。饗・禘(てい)には楽有りて、食・嘗には楽無し、陰陽の義なり。凡そ飲は陽気を養うなり、凡そ食は陰気を養うなり。故に春は禘して秋は嘗す。春は孤子を饗し、秋は耆老(きろう)に食(し)す、その義一なり。而して食・嘗には楽無し。飲は陽気を養う、故に楽有り。食は陰気を養う、故に声無し。凡そ声は陽なり。鼎俎(ていそ)は奇にして籩豆(へんとう)は偶なるは、陰陽の義なり。籩豆の実は、水土の品なり。敢えて褻味(せつみ)を用いずして多品を貴ぶは、旦明(しんめい)に交わる所以の義なり。賓、大門に入りて《肆夏(しか)》を奏するは、易(やわら)ぎて以て敬するを示すなり。爵を卒(お)えて楽闋(や)む、孔子屡(しばしば)これを嘆ず。奠酬(てんしゅう)して工升(のぼ)りて歌うは、徳を発するなり。歌う者は上に在り、匏竹(ほうちく)は下に在るは、人の声を貴ぶなり。楽は陽由り来たる者なり、礼は陰由り作る者なり、陰陽和して万物得。
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礼記・礼器太廟の内は敬なるかな。君親ら牲を牽き、大夫幣を賛(たす)けて従う。君親ら祭を制し、夫人盎(おう)を薦む。君親ら牲を割き、夫人酒を薦む。卿大夫は君に従い、命婦は夫人に従う。洞洞乎(どうどうこ)として其れ敬なり、属属乎(しょくしょくこ)として其れ忠なり、勿勿乎(ぶつぶつこ)として其れ其の之を饗けんことを欲するなり。牲を納めて庭に詔げ、血・毛は室に詔げ、羹定まりて堂に詔ぐ。三詔皆位を同じくせず、蓋し道(い)いて求めて未だ之を得ざるなり。祭を堂に設け、祊(ほう)を外に為す。故に曰く、「彼に於いてか、此に於いてか」と。
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