朱子家訓 / 祖宗雖遠
祖宗雖遠,祭祀不可不誠; 子孫雖愚,經書不可不讀。
新字:祖宗雖遠,祭祀不可不誠; 子孫雖愚,経書不可不読。
書き下し
祖宗は遠しと雖も、祭祀は誠ならざるべからず。 子孫は愚なりと雖も、経書は読まざるべからず。
現代語訳
先祖が遠い昔の人であっても、祭りは真心を込めて行わなければなりません。 子孫が愚かであっても、経書は読ませなければなりません。
解説
この条は、過去とのつながりと未来への教育を対にしています。先祖の祭祀は儒教で重んじられた孝の実践で、時が隔たるほど形だけになりやすい点に「誠」を求めています。一方、子孫が愚かでも経書を読ませるべきだという言葉は、学びを才能の有無で選別せず、すべての子に与えるものと見ています。経書とは、儒教の根本となる古典のことです。組織に置き換えれば、創業の志を受け継ぐ営みと、後進に古典や基本を学ばせる育成にあたります。続けることの価値を、誠実さと学びの二点から示す条です。
この章句が説くこと
祖宗祭祀誠子孫経書孝
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