師導古典を学びたいすべての人に

慎思録 / 巻之三

韓詩外傳曰。有俗人者。有俗儒者。有雅儒者。有大儒者。愚謂。後世大儒。不可得而見。得見雅儒。斯可矣。古人云。文人多窮。歐陽永叔序梅氏集。以爲詩之能窮人。殆窮者而後工也。此論可謂當也。葢憂憤苦思者。用心精切也。故所作文亦好。夫窮通有命。文豈有能窮人之理乎。

新字:韓詩外伝曰。有俗人者。有俗儒者。有雅儒者。有大儒者。愚謂。後世大儒。不可得而見。得見雅儒。斯可矣。古人云。文人多窮。欧陽永叔序梅氏集。以為詩之能窮人。殆窮者而後工也。此論可謂当也。葢憂憤苦思者。用心精切也。故所作文亦好。夫窮通有命。文豈有能窮人之理乎。

書き下し

韓詩外伝に曰く、俗人なる者有り、俗儒なる者有り、雅儒なる者有り、大儒なる者有り、と。愚謂へらく、後世大儒は、得て見るべからず。雅儒を見るを得ば、斯れ可なり。古人云ふ、文人は多く窮す、と。欧陽永叔梅氏の集に序して、以為へらく、詩の能く人を窮するにあらず、殆ど窮する者にして後に工みなり、と。此の論当たれりと謂ふべし。蓋し憂憤苦思する者は、心を用ふること精切なり。故に作る所の文も亦好し。夫れ窮通は命有り。文豈に能く人を窮するの理有らんや。

現代語訳

『韓詩外伝』に「俗人という者があり、俗儒という者があり、雅儒という者があり、大儒という者がある」とあります。私が思うに、後世には大儒はもう見ることができません。雅儒を見られればそれでよいのです。昔の人は「文人は多く困窮する」と言いました。欧陽脩(永叔)は梅堯臣の詩集に序を書いて、「詩が人を困窮させるのではない。困窮した者であってこそ、詩が巧みになるのだ」と述べました。この論はまことに当を得ています。思うに、憂い憤り苦しんで思う者は、心の用い方が細やかで切実です。だから作る文章もよいのです。そもそも困窮するか栄達するかは天命です。文章に人を困窮させる理などあるはずがありません。

解説

前半は儒者の四つの等級で、『荀子』儒効篇にも同様の区分があり、『韓詩外伝』はそれを受けています。後半は欧陽脩の「梅聖兪詩集序」の有名な一節「窮する者にして後工みなり」を引き、困窮が詩を巧みにするのであって、詩が人を困窮させるのではないとします。益軒は、窮通は天命であり、苦しみの中で心を細やかに用いることが文章を磨くと解しました。逆境の経験が表現や仕事の深みになるという見方は、苦しい時期を無駄にしない励ましとして読めます。

この章句が説くこと

文章窮達苦思

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる