慎思録 / 巻之三
程子曰。莫說道將第一等讓與別人。且做第二等。才如此說。便是自棄。愚謂。古人曰。立志要大取法要高。又曰。學其上。僅得其中。學其中。斯爲下矣。
新字:程子曰。莫説道将第一等譲与別人。且做第二等。才如此説。便是自棄。愚謂。古人曰。立志要大取法要高。又曰。学其上。僅得其中。学其中。斯為下矣。
書き下し
程子曰く、道ふこと莫かれ、第一等を将て別人に譲与して、且く第二等を做さん、と。才かに此の如く説かば、便ち是れ自棄なり、と。愚謂へらく、古人曰く、志を立つるは大なるを要し、法を取るは高きを要す、と。又曰く、其の上に学べば、僅かに其の中を得。其の中に学べば、斯れ下と為る、と。
現代語訳
程子は「第一等は他人に譲って、とりあえず第二等をやろうなどと言ってはならない。そう言ったとたん、それは自分を捨てることだ」と言いました。私が思うに、昔の人は「志を立てるには大きいことが大切で、手本を取るには高いことが大切だ」と言い、また「上を学んでようやく中を得る。中を学べば下になってしまう」と言いました。
解説
程頤の言葉で『近思録』為学類にも収められる一節です。第一等を目指すことを初めから放棄するのは、『孟子』離婁上のいう「自棄」だと戒めます。益軒はさらに「其の上に学べば僅かに其の中を得」という古語を重ねます。これは唐の太宗『帝範』などに見える言葉として知られます。目標を低く置けば結果はさらに下回るという経験則は、学びにも仕事にも当てはまります。控えめな目標で安心するのではなく、高い手本を持ち続けることが、結果として実力を伸ばす道だと教えています。
この章句が説くこと
立志自棄学問志目標
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