慎思録 / 巻之三
雷因雨而發。無雨不發。夫雨者。地氣之蒸上而下也。其蒸上者火氣也。故其在天上也。水中包火。是以動而年訇。昔人喩之以爆竹與燒栗之發。愚謂。此比喩未切。何也。爆竹與燒栗。一爆而止。如雷動則不然。譬如以燒刀淬水中。其水激發而不止。火氣消而止。
新字:雷因雨而発。無雨不発。夫雨者。地気之蒸上而下也。其蒸上者火気也。故其在天上也。水中包火。是以動而年訇。昔人喩之以爆竹与焼栗之発。愚謂。此比喩未切。何也。爆竹与焼栗。一爆而止。如雷動則不然。譬如以焼刀淬水中。其水激発而不止。火気消而止。
書き下し
雷は雨に因りて発し、雨無ければ発せず。夫れ雨は、地気の蒸上して下る者なり。其の蒸上する者は火気なり。故に其の天上に在るや、水中に火を包む。是を以て動きて年訇たり。昔人之を喩ふるに爆竹と焼栗の発するを以てす。愚謂へらく、此の比喩未だ切ならず。何ぞや。爆竹と焼栗とは、一たび爆して止む。雷の動くが如きは則ち然らず。譬へば焼刀を以て水中に淬ぐが如し。其の水激発して止まず、火気消えて止む。
現代語訳
雷は雨によって起こり、雨がなければ起こりません。そもそも雨は、地の気が蒸し上って下ってくるものです。その蒸し上るものは火の気です。ですから天の上にあるときは、水の中に火を包んでいます。それで動いてとどろくのです。昔の人はこれを、爆竹や焼き栗がはじけるのにたとえました。私が思うに、このたとえはぴったりではありません。なぜなら、爆竹や焼き栗は一度はじければ止みますが、雷の鳴り方はそうではないからです。たとえば焼いた刀を水の中に入れて焼き入れをするようなものです。水は激しく沸き立って止まず、火の気が消えてはじめて止みます。
解説
雷の成り立ちを陰陽五行の気の理論で考えた一条です。益軒は、雨は地の気が蒸し上ったもので、その中に火の気が包まれているため雷が鳴ると考えました。爆竹や焼き栗のたとえを、一度で止む点が雷の続く鳴り方と合わないと退け、焼刀を水に淬ぐたとえを出すところに、観察を重んじる益軒の姿勢が見えます。益軒は『大和本草』を著した博物学者でもありました。原文の「年訇」は字の誤りと思われ、とどろく音を表す語と取って訳しました。たとえを自分の観察で吟味し直す態度は、今の科学的な思考にも通じます。
この章句が説くこと
雷気陰陽観察窮理
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