慎思録 / 巻之三
後漢和帝子殤帝。生百餘日即位。在位八閱月而崩。然列于皇帝歷世之數。案。日本紀履中帝子。爲市邊皇子。市邊之子飯豐皇女登帝位。是仁賢帝之女兄也。在位未滿一年而崩。不列歷代之數。此和漢異例者也。
新字:後漢和帝子殤帝。生百余日即位。在位八閲月而崩。然列于皇帝歴世之数。案。日本紀履中帝子。為市辺皇子。市辺之子飯豊皇女登帝位。是仁賢帝之女兄也。在位未満一年而崩。不列歴代之数。此和漢異例者也。
書き下し
後漢和帝の子殤帝、生まれて百余日にして即位し、位に在ること八閲月にして崩ず。然れども皇帝歴世の数に列す。案ずるに、日本紀に履中帝の子を市辺皇子と為す。市辺の子飯豊皇女帝位に登る。是れ仁賢帝の女兄なり。位に在ること未だ一年に満たずして崩ず。歴代の数に列せず。此れ和漢の異例なる者なり。
現代語訳
後漢の和帝の子の殤帝は、生まれて百日あまりで即位し、在位八か月で崩じました。それでも歴代皇帝の数に入れられています。考えてみると、『日本書紀』では履中天皇の子を市辺皇子とし、市辺皇子の子の飯豊皇女が帝位に登りました。仁賢天皇の姉です。在位一年に満たずに崩じ、歴代の数には入れられていません。これは日本と中国で扱いが異なる例です。
解説
在位が短い君主を歴代に数えるかどうかの和漢の違いを記した考証です。後漢の殤帝は生後百日余りで即位し二歳で没しましたが、歴代皇帝に数えられます。一方、飯豊皇女(飯豊青皇女)は清寧天皇の没後に政を執ったと『日本書紀』に見え、『扶桑略記』などでは天皇に数える説もありますが、正式な歴代には入っていません。益軒は是非を論じず、異例として記すにとどめています。制度や数え方の違いを並べて比べる視点は、比較して考える力を養う手がかりになります。
この章句が説くこと
考証歴代和漢比較史書
関連する章句
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