慎思録 / 巻之三
孟子曰。仁義忠信。樂善不倦。葢仁義便善也。忠信誠於爲善也。苟欲爲善。非樂之不倦。則不能久而不失也。樂善不倦者。是誠于爲善也。
新字:孟子曰。仁義忠信。楽善不倦。葢仁義便善也。忠信誠於為善也。苟欲為善。非楽之不倦。則不能久而不失也。楽善不倦者。是誠于為善也。
書き下し
孟子曰く、仁義忠信、善を楽しみて倦まず、と。蓋し仁義は便ち善なり。忠信は善を為すに誠なり。苟も善を為さんと欲するも、之を楽しみて倦まざるに非ざれば、則ち久しくして失はざる能はざるなり。善を楽しみて倦まざる者は、是れ善を為すに誠なるなり。
現代語訳
孟子は「仁・義・忠・信、善を楽しんで倦まない」と言いました。思うに、仁と義はそのまま善です。忠と信は善を行うのに誠実であることです。善を行おうと思っても、それを楽しんで倦まないのでなければ、長く続けて失わずにいることはできません。善を楽しんで倦まないというのは、善を行うのに誠実であるということです。
解説
『孟子』告子上の「仁義忠信、善を楽しみて倦まざるは、此れ天爵なり」を踏まえた一条です。孟子は、人が与える位(人爵)に対して、仁義忠信を楽しんで行うことを天が与える位(天爵)と呼びました。益軒は、仁義が善の中身、忠信が善を行う誠だと整理し、続ける力は義務感ではなく楽しむ心から生まれると言います。『論語』雍也篇の「之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず」にも通じ、学びや仕事を長続きさせる秘訣として読めます。
この章句が説くこと
善誠仁義忠信楽
関連する章句
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『慎思録』巻之六吾が夫子は文行忠信を以て教へと為し、且つ屢忠信を主とすることを言ふ。蓋し学問の道は、文を学びて以て道を明らかにし、力行して以て善を為し、忠信を主として以て誠を立つ。此の三者、一を闕くべからず。蓋し文行に非ずば、則ち理を窮め善を為すこと能はず。忠信に非ずば、則ち文行も亦進益を得ず、皆虚妄なるのみ。蓋し人道は只忠信に在り。忠信ならずば徳を立つるの基無し。故に易に曰く、忠信は徳に進む所以なりと。郷里の常人と雖も、苟も忠信無くば、則ち世に立つべからず。況んや君子の道をや。此の故に君子は之を誠にするを貴しと為す。
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『慎思録』巻之二聖人の教へは、忠信を主とするを以て本と為す。所謂之を誠にせんと思ふ者は、人の道なり。居敬を以て忠信を主とするの工夫と為す。苟も忠信を以て主と為さずして、徒に敬を以て一心の主宰と為さば、是れ工夫を以て心の主と為すなり。恐らくは敬に偏りて、流れて束縛強持の病と為らん。甚だしきは色仁を執りて、行ひ違ふ者之有り。夫れ敬は古来聖賢伝授の心法なり。然るに近世の持敬者は、一副当の病と為る。学者須らく居敬の方を知りて、而る後に持敬すべし。
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