慎思録 / 巻之三
戰國策曰。秦王欲以五百里之地易安陵。安陵君曰。大王加惠。以大易小。甚善。雖然受地於先王。願終守之。篤信案。本邦毛利輝元素領中國八州。豐臣秀吉公語輝元之叔父小早川隆景曰吾將以筑紫九州易中國八州。如何。隆景答曰。九州比之八州。爲甚廣濶。恩惠幸甚。然今輝元所領之八州。皆是彼祖父元就以經畧勤勞所獲之地也。不忍棄去。且八州尙過大。况易之以九州。或後日君意生悔吝。亦未可測。願無移易。則其荷恩益深。秀吉公感其不忘本。而且其所答之誠實。遂從其願。是和漢同日之美談也。
新字:戦国策曰。秦王欲以五百里之地易安陵。安陵君曰。大王加恵。以大易小。甚善。雖然受地於先王。願終守之。篤信案。本邦毛利輝元素領中国八州。豊臣秀吉公語輝元之叔父小早川隆景曰吾将以筑紫九州易中国八州。如何。隆景答曰。九州比之八州。為甚広濶。恩恵幸甚。然今輝元所領之八州。皆是彼祖父元就以経略勤労所獲之地也。不忍棄去。且八州尚過大。況易之以九州。或後日君意生悔吝。亦未可測。願無移易。則其荷恩益深。秀吉公感其不忘本。而且其所答之誠実。遂従其願。是和漢同日之美談也。
書き下し
戦国策に曰く、秦王五百里の地を以て安陵に易へんと欲す。安陵君曰く、大王恵を加へ、大を以て小に易ふ、甚だ善し。然りと雖も地を先王に受く、願はくは終に之を守らん、と。篤信案ずるに、本邦の毛利輝元素と中国八州を領す。豊臣秀吉公輝元の叔父小早川隆景に語りて曰く、吾将に筑紫九州を以て中国八州に易へんとす。如何、と。隆景答へて曰く、九州之を八州に比すれば、甚だ広闊為り。恩恵幸甚なり。然れども今輝元の領する所の八州は、皆是れ彼の祖父元就の経略勤労を以て獲る所の地なり。棄て去るに忍びず。且つ八州すら尚ほ大に過ぐ。况んや之に易ふるに九州を以てするをや。或いは後日君意悔吝を生ずるも、亦未だ測るべからず。願はくは移易すること無からんことを。則ち其の恩を荷ふこと益々深からん、と。秀吉公其の本を忘れずして、且つ其の答ふる所の誠実なるに感じ、遂に其の願に従ふ。是れ和漢同日の美談なり。
現代語訳
『戦国策』にこうあります。秦王が五百里の土地と安陵とを交換しようとした。安陵君は「大王が恵みをかけて、大きな土地を小さな土地と取り替えてくださるのはたいへんありがたいことです。しかし私はこの地を先王から受けたので、最後まで守りたいのです」と言った。私(篤信)が考えるに、わが国の毛利輝元はもともと中国地方の八か国を領していました。豊臣秀吉公が輝元の叔父小早川隆景に「九州を中国八か国と取り替えようと思うがどうか」と言いました。隆景は「九州は八か国に比べてたいへん広く、ありがたいご恩です。しかし今輝元が治める八か国は、みな祖父元就が苦心して手に入れた土地で、捨て去るに忍びません。そのうえ八か国でさえ分に過ぎますのに、まして九州と取り替えるなどとんでもありません。あるいは後日お心に後悔が生じないとも限りません。どうか移し替えないでください。そうすればご恩をいっそう深く感じます」と答えました。秀吉公は、根本を忘れない心と答えの誠実さに感じ入り、ついにその願いを聞き入れました。これは日本と中国の優劣つけがたい美談です。
解説
この章句が説くこと
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