慎思録 / 巻之三
晉張華之第舍及省監。數有妖怪。少子韙以中台星坼。勸華遜位。華不從。遂爲趙王倫孫秀等遇害。本邦菅丞相之在槐位。以辛酉運當變革。三善淸行奉書諫之以避位。公不從果有西府之貶遷。詩云。既明且哲。以保其身。是君子之所以嘉尙也。
新字:晋張華之第舎及省監。数有妖怪。少子韙以中台星坼。勧華遜位。華不従。遂為趙王倫孫秀等遇害。本邦菅丞相之在槐位。以辛酉運当変革。三善清行奉書諫之以避位。公不従果有西府之貶遷。詩云。既明且哲。以保其身。是君子之所以嘉尚也。
書き下し
晋の張華の第舎及び省監、数々妖怪有り。少子韙、中台の星坼くるを以て、華に位を遜らんことを勧む。華従はず。遂に趙王倫孫秀等の為に害に遇ふ。本邦の菅丞相の槐位に在るや、辛酉の運変革に当たるを以て、三善清行書を奉りて之を諫め、以て位を避けしむ。公従はず、果して西府の貶遷有り。詩に云ふ、既に明にして且つ哲、以て其の身を保つ、と。是れ君子の嘉尚する所以なり。
現代語訳
晋の張華の邸宅や役所には、たびたび怪異が起こりました。末の子の張韙は、中台星が裂けたことを理由に、父に位を退くよう勧めましたが、張華は従わず、ついに趙王倫や孫秀らに殺されました。わが国の菅原道真公が大臣の位にあったとき、辛酉の年は変革の運に当たるとして、三善清行が書を奉って諫め、位を退くよう勧めましたが、公は従わず、はたして大宰府への左遷がありました。『詩経』に「明らかでしかも賢く、それでその身を保つ」とあります。これが君子のほめたたえるところです。
解説
『晋書』張華伝の、子の張韙が天象の異変を見て引退を勧めたが容れられず殺された話と、三善清行が辛酉革命の年を理由に菅原道真へ辞職を勧めた書状(『本朝文粋』所収「奉菅右相府書」)の話を並べます。結びの「既に明にして且つ哲、以て其の身を保つ」は『詩経』大雅・烝民の句で、「明哲保身」の出典です。益軒は兆しを見て身を処する知恵を評価しました。周囲の忠告に耳を傾け、引き際を見誤らないことは、今の組織人にとっても大切な判断です。
この章句が説くこと
明哲保身進退諫言兆し
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