呻吟語 / 外篇・治道・前人の熟思して棄てし所
變法者變時勢不變道,變枝葉不變本。吾怪夫後之議法者偶有意見,妄逞聰明,不知前人立法千思萬慮而後決。後人之所以新奇自喜,皆前人之所熟思而棄者也,豈前人之見不及此哉!
新字:変法者変時勢不変道,変枝葉不変本。吾怪夫後之議法者偶有意見,妄逞聰明,不知前人立法千思万慮而後決。後人之所以新奇自喜,皆前人之所熟思而棄者也,豈前人之見不及此哉!
書き下し
法を變ずる者は時勢を變じて道を變ぜず、枝葉を變じて本を變ぜず。吾は怪しむ、夫の後の法を議する者偶たま意見有らば、妄りに聰明を逞しくす。知らず、前人の法を立つるは千思萬慮して後に決す。後人の新奇を以て自ら喜ぶ所は、皆な前人の熟思して棄てし所なり。豈に前人の見此に及ばざらんや。
現代語訳
法を変える者は時勢を変えて道を変えず、枝葉を変えて本を変えません。私が不思議に思うのは、後から法を議論する者がたまたま意見を持つと、みだりに聡明さを振るうことです。昔の人が法を立てたのは、千も万も考えた末に決めたのです。後の人が新奇だと喜んでいるものは、みな昔の人が熟考して捨てたものです。どうして昔の人の見識がそこに及ばなかったでしょうか。
解説
変えてよい範囲を二つに区切ります。時勢と枝葉は変えてよく、道と本は変えない。そのうえで、新奇な案の多くはすでに検討されて捨てられたものだと指摘します。千も万も考えた末の結論だからです。着想の新しさを疑う視点で、まず前任者がなぜそうしなかったかを調べよという含みになります。実務の改革論として、今も通じる一段です。

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変法時勢本新奇検討済み
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