慎思録 / 巻之三
李忠定公曰。自古帝王之興。必先據天下形勝之地。以爲根本。故高祖保關中。而守之以蕭何。光武保河內。而守之以寇恂。皆深根固本。爲不抜之基。以制天下。利則伸而進。可以勝敵。鈍則蟠而退。足以堅守。雖有困敗。而終濟大業者。其建策然也。曹操之起。荀彧勸以先定兗州。唐高祖之起。太宗勸其先趨長安。故能卒有中原。而定天下。豈非以漢高光武爲法乎。至於不立根本而浪戰。雖力盛兵强。百戰百勝。一跌則失之矣。此項羽李密之所以敗也。今案。兩漢魏唐之起。皆先定根本之地。而據之而後發兵制敵。使進可以取。退可以保。所以創成大業也。
新字:李忠定公曰。自古帝王之興。必先拠天下形勝之地。以為根本。故高祖保関中。而守之以蕭何。光武保河内。而守之以寇恂。皆深根固本。為不抜之基。以制天下。利則伸而進。可以勝敵。鈍則蟠而退。足以堅守。雖有困敗。而終済大業者。其建策然也。曹操之起。荀彧勧以先定兗州。唐高祖之起。太宗勧其先趨長安。故能卒有中原。而定天下。豈非以漢高光武為法乎。至於不立根本而浪戦。雖力盛兵強。百戦百勝。一跌則失之矣。此項羽李密之所以敗也。今案。両漢魏唐之起。皆先定根本之地。而拠之而後発兵制敵。使進可以取。退可以保。所以創成大業也。
書き下し
李忠定公曰く、古より帝王の興るや、必ず先づ天下形勝の地に拠りて、以て根本と為す。故に高祖は関中を保ちて、之を守るに蕭何を以てし、光武は河内を保ちて、之を守るに寇恂を以てす。皆根を深くし本を固くして、不抜の基と為し、以て天下を制す。利なれば則ち伸びて進み、以て敵に勝つべし。鈍なれば則ち蟠りて退き、以て堅守するに足る。困敗有りと雖も、終に大業を済す者は、其の建策然ればなり。曹操の起るや、荀彧勧むるに先づ兗州を定むるを以てし、唐の高祖の起るや、太宗其の先づ長安に趨かんことを勧む。故に能く卒に中原を有ちて、天下を定む。豈に漢高光武を以て法と為すに非ずや。根本を立てずして浪戦するに至りては、力盛んに兵強く、百戦百勝すと雖も、一たび跌けば則ち之を失ふ。此れ項羽李密の敗るる所以なり、と。今案ずるに、両漢魏唐の起るや、皆先づ根本の地を定めて、之に拠りて而る後に兵を発して敵を制す。進みては以て取るべく、退きては以て保つべからしむ。大業を創成する所以なり。
現代語訳
李忠定公(李綱)は言いました。「昔から帝王が興るときは、必ずまず天下の要害の地に拠って根拠地としました。だから漢の高祖は関中を保って蕭何に守らせ、後漢の光武帝は河内を保って寇恂に守らせました。どちらも根を深くし本を固めて揺るがない基盤とし、それで天下を制したのです。有利なときは伸びて進み敵に勝ち、不利なときはとぐろを巻くように退いて堅く守ることができました。苦しい敗北があっても最後に大業を成しとげたのは、その策の立て方がそうだったからです。曹操が挙兵したとき、荀彧はまず兗州を平定するよう勧め、唐の高祖が挙兵したとき、太宗はまず長安に向かうよう勧めました。だからついに中原を手に入れ天下を定めることができたのです。これは漢の高祖や光武帝を手本にしたのではないでしょうか。根拠地を立てずにむやみに戦えば、力が盛んで兵が強く百戦百勝しても、一度つまずけばすべてを失います。これが項羽や李密が敗れた理由です」。いま考えると、前漢・後漢・魏・唐が興ったときは、どれもまず根拠地を定め、そこに拠ってから兵を出して敵を制しました。進めば取ることができ、退けば守ることができるようにしたのです。これが大業を打ち立てた理由です。
解説
この章句が説くこと
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