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慎思録 / 巻之三

世俗之於子也。徃徃溺愛而昏迷。無知其惡。常遮掩其子之過惡。而護之也厚矣。是以養成驕惰之性而不悟。且雖與無賴小人親暱而不禁。故其性日以鑿矣。放僻邪侈。無不爲巳。雖曰愛之。其實害之。遂陷於罪惡。而臻不能保其身。哀哉。

新字:世俗之於子也。往往溺愛而昏迷。無知其悪。常遮掩其子之過悪。而護之也厚矣。是以養成驕惰之性而不悟。且雖与無頼小人親暱而不禁。故其性日以鑿矣。放僻邪侈。無不為巳。雖曰愛之。其実害之。遂陥於罪悪。而臻不能保其身。哀哉。

書き下し

世俗の子に於けるや、往往溺愛して昏迷し、其の悪を知る無し。常に其の子の過悪を遮掩して、之を護ること厚し。是を以て驕惰の性を養成して悟らず。且つ無頼の小人と親暱すと雖も禁ぜず。故に其の性日に以て鑿たる。放僻邪侈、為さざる無きのみ。之を愛すと曰ふと雖も、其の実は之を害す。遂に罪悪に陥りて、其の身を保つ能はざるに臻る。哀しいかな。

現代語訳

世間の人の子への接し方は、しばしば溺愛して目がくらみ、子の悪い所に気づきません。いつも子の過ちや悪事を覆い隠して、手厚くかばいます。そのため驕りと怠けの性質を育ててしまっても気づきません。しかも、ならず者と親しくつき合っても止めません。それで子の性質は日ごとに損なわれ、勝手気ままで邪なことを何でもするようになります。愛しているといっても、実際は害しているのです。ついには罪悪に落ち、自分の身を保てなくなってしまいます。哀しいことです。

解説

子を愛するあまり過ちを隠し、悪い交友も止めない親を厳しく批判した一条です。「放僻邪侈」は『孟子』梁恵王上の語で、恒心を失った者の勝手な振る舞いを指します。『大学』の「人其の子の悪を知る莫し」とも響き合います。益軒は『和俗童子訓』でも、幼いうちの甘やかしが一生の害になると繰り返し説きました。愛情と甘やかしを取り違えないことは、子育てだけでなく、部下や後輩を守るつもりで失敗を覆い隠してしまう職場の関係にも通じます。

この章句が説くこと

溺愛教育家庭過ち

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