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都鄙問答 / 卷之一・孝ノ道ヲ問ノ段

答、カクノゴトキ者ヲ、世間並ノ人ト思フベケレド、親ヘツカフル道ハ、曾テ知ザル者ナリ、汝ハ書ヲ讀ナガラ、書ヲ讀ザル愚昧ノ者ヲ、法トスルユヘニ、父母ニ事ル道ヲ不知、昔シ公明宣學於曾子三年、不讀書、曾子曰、宣居參之門三年、不學何也、公明宣曰、安敢不學、宣見夫子居庭、親在叱咤之聲未嘗至於犬馬、宣說之學而未能ト云ヘリ、曾子ノ如キハ、親ノ前ニテハ、犬ヤ馬サヘ怒テ叱玉ハズ、然ルニ汝ハ、只養ヲ孝ト思ヘリ、子曰、今之孝者是謂能養、至於犬馬皆能有養、不敬何以別乎ト、如是ナル時ハ、父母ニ事道ハ、愛ト敬トノ二ッナリ、愛ハ、イツクシミアイスル心ナリ、敬ハ、ツヽシミウヤマフ心ナリ、然ルニ汝ハ、父母ノ命ヲ用ヒズシテ心ヲ痛シム、心ヲ痛シムルハ、愛心ナキガ故也、命ヲ不用ハ、敬心ナキガ故ナリ、愛敬ノ心ナキハ、鳥獸ニ同ジ、汝ハ世ニ呼ルヽホドノ孝ヲ問、聖賢ノ孝ヲ聞ント思ハヾ、早愛敬ノ心ヲ知ベシ、愛敬ノ心ヲ知バ、聖賢ノ孝ニモ到ルベシ、

新字:答、カクノゴトキ者ヲ、世間並ノ人ト思フベケレド、親ヘツカフル道ハ、曽テ知ザル者ナリ、汝ハ書ヲ読ナガラ、書ヲ読ザル愚昧ノ者ヲ、法トスルユヘニ、父母ニ事ル道ヲ不知、昔シ公明宣学於曽子三年、不読書、曽子曰、宣居参之門三年、不学何也、公明宣曰、安敢不学、宣見夫子居庭、親在叱咤之声未嘗至於犬馬、宣説之学而未能ト云ヘリ、曽子ノ如キハ、親ノ前ニテハ、犬ヤ馬サヘ怒テ叱玉ハズ、然ルニ汝ハ、只養ヲ孝ト思ヘリ、子曰、今之孝者是謂能養、至於犬馬皆能有養、不敬何以別乎ト、如是ナル時ハ、父母ニ事道ハ、愛ト敬トノ二ッナリ、愛ハ、イツクシミアイスル心ナリ、敬ハ、ツヽシミウヤマフ心ナリ、然ルニ汝ハ、父母ノ命ヲ用ヒズシテ心ヲ痛シム、心ヲ痛シムルハ、愛心ナキガ故也、命ヲ不用ハ、敬心ナキガ故ナリ、愛敬ノ心ナキハ、鳥獣ニ同ジ、汝ハ世ニ呼ルヽホドノ孝ヲ問、聖賢ノ孝ヲ聞ント思ハヾ、早愛敬ノ心ヲ知ベシ、愛敬ノ心ヲ知バ、聖賢ノ孝ニモ到ルベシ、

書き下し

答ふ、かくのごとき者を、世間並みの人と思ふべけれど、親へつかふる道は、曾て知らざる者なり。汝は書を読みながら、書を読まざる愚昧の者を、法とするゆへに、父母に事ふる道を知らず。昔し公明宣、曾子に学ぶこと三年、書を読まず。曾子曰く、宣、参の門に居ること三年、学ばざるは何ぞや。公明宣曰く、安んぞ敢へて学ばざらん。宣、夫子の庭に居るを見るに、親在せば、叱咤の声未だ嘗て犬馬に至らず。宣之を説びて、学べども未だ能はず、と云へり。曾子の如きは、親の前にては、犬や馬さへ怒りて叱り玉はず。然るに汝は、只養ふを孝と思へり。子曰く、今の孝は是れ能く養ふを謂ふ。犬馬に至るまで皆能く養ふこと有り。敬せずんば何を以て別たんや、と。是の如くなる時は、父母に事ふる道は、愛と敬との二つなり。愛は、いつくしみあいする心なり。敬は、つつしみうやまふ心なり。然るに汝は、父母の命を用ひずして心を痛ましむ。心を痛ましむるは、愛心なきが故なり。命を用ひざるは、敬心なきが故なり。愛敬の心なきは、鳥獣に同じ。汝は世に呼ばるるほどの孝を問ふ。聖賢の孝を聞かんと思はば、早く愛敬の心を知るべし。愛敬の心を知らば、聖賢の孝にも到るべし。

現代語訳

梅岩は答えました。「そのような人を世間並みの人と思うかもしれませんが、親に仕える道はまったく知らない者です。あなたは書物を読みながら、書物を読まない愚かな者を手本にしているので、父母に仕える道を知らないのです。昔、公明宣は曾子に三年学びながら書物を読みませんでした。曾子が『宣よ、私の門にいて三年、学ばないのはなぜか』と言うと、公明宣は『どうして学ばずにいられましょう。先生が家の庭におられるのを見ると、親御さんがいらっしゃるときには、叱る声が犬や馬にさえ向けられたことがありません。私はそれを慕って学んでいますが、まだできないのです』と答えたといいます。曾子のような人は、親の前では犬や馬にさえ怒って叱ることはなさらなかった。それなのにあなたは、ただ養うことを孝行だと思っています。孔子は『今の孝行は、よく養うことを言っている。けれども犬や馬でもみな養うことはある。敬わなければ何で区別できよう』と言いました。このように、父母に仕える道は愛と敬の二つです。愛はいつくしみ愛する心、敬はつつしみ敬う心です。ところがあなたは父母の言いつけを用いずに心を痛めさせている。心を痛めさせるのは愛の心がないからです。言いつけを用いないのは敬う心がないからです。愛と敬の心がないのは鳥や獣と同じです。あなたは世に名が知られるほどの孝行を尋ねましたが、聖賢の孝行を聞きたいなら、まず早く愛と敬の心を知りなさい。愛敬の心を知れば、聖賢の孝行にも到れるでしょう。」

解説

公明宣の話は説苑建本篇などに伝わるもので、書物ではなく師の日々の振る舞いから学ぶ姿を描いています。「今の孝は是れ能く養ふを謂ふ」は論語為政篇の子游の問いへの答えです。梅岩はこの二つを重ねて、孝行の中身を愛と敬の二つに整理し、親の心を痛めるのは愛がないから、言いつけを用いないのは敬がないからだと、問う人の行いに当てはめます。養うだけなら犬や馬にもしている、という孔子の言葉は、衣食の保障だけで務めを果たしたと考える人への強い警告です。

この章句が説くこと

曽子論語養う

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