論語 / 憲問篇
子曰:「愛之,能勿勞乎?忠焉,能勿誨乎?」
新字:子曰:「愛之,能勿労乎?忠焉,能勿誨乎?」
書き下し
子曰く、之を愛して、能く労すること勿からんや。焉に忠にして、能く誨うること勿からんや。
現代語訳
先生がおっしゃった。「その人を愛しているなら、苦労させずにいられようか。その人に真心を尽くすなら、教え導かずにいられようか。」
解説
愛情の表現として、楽をさせることではなく苦労をさせることを挙げている。反直感的だが、育てるという観点からは筋が通る。負荷をかけなければ力はつかない。同じように、真心を尽くすとは、耳の痛いことを言わずに済ませないということだ。二つとも、相手にとって快くない働きかけである。ここには、優しさの定義をめぐる根本的な問いがある。相手を傷つけない、負担をかけない、波風を立てない。これらは思いやりに見えるが、相手の成長を止める。孔子は、その状態を愛とも忠とも呼ばなかった。上に立つ人ほど、この選択を迫られる。嫌われずにいることと、その人を伸ばすことは、しばしば両立しない。労させ、誨えるほうを選べるかどうかが、関係の質を決める。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
愛苦労教え育成優しさ
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『墨子』尚同下是の故に子墨子曰く、「凡そ民をして尚同せしむる者、民を愛すること疾からざれば、民、使う可き無し。曰く、必ず疾く愛して之を使い、信を致して之を持し、富貴以て其の前を道き、明罰以て其の後を率う。政を為すこと此くの若くんば、唯だ我と同じくする毋からんと欲するも、將に得可からざるなり」と。
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『都鄙問答』卷之一・孝ノ道ヲ問ノ段答ふ、かくのごとき者を、世間並みの人と思ふべけれど、親へつかふる道は、曾て知らざる者なり。汝は書を読みながら、書を読まざる愚昧の者を、法とするゆへに、父母に事ふる道を知らず。昔し公明宣、曾子に学ぶこと三年、書を読まず。曾子曰く、宣、参の門に居ること三年、学ばざるは何ぞや。公明宣曰く、安んぞ敢へて学ばざらん。宣、夫子の庭に居るを見るに、親在せば、叱咤の声未だ嘗て犬馬に至らず。宣之を説びて、学べども未だ能はず、と云へり。曾子の如きは、親の前にては、犬や馬さへ怒りて叱り玉はず。然るに汝は、只養ふを孝と思へり。子曰く、今の孝は是れ能く養ふを謂ふ。犬馬に至るまで皆能く養ふこと有り。敬せずんば何を以て別たんや、と。是の如くなる時は、父母に事ふる道は、愛と敬との二つなり。愛は、いつくしみあいする心なり。敬は、つつしみうやまふ心なり。然るに汝は、父母の命を用ひずして心を痛ましむ。心を痛ましむるは、愛心なきが故なり。命を用ひざるは、敬心なきが故なり。愛敬の心なきは、鳥獣に同じ。汝は世に呼ばるるほどの孝を問ふ。聖賢の孝を聞かんと思はば、早く愛敬の心を知るべし。愛敬の心を知らば、聖賢の孝にも到るべし。
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『斉家論』上衣服は綾羅にあらざれども、和暖なれば便よし。飲食は珍しき饈にあらざれども、一度飽けば便よしといふ。又論語にも、君子は食飽くことを求むることなく、居安からんことを求むることなしとのたまへり。此の味を知らるべし。扨て妻子や家内の者にあらそひ、思ふやうにさせざるを不便の事なりといふ。これ大いにあやまてり。汝いふごとく、家内の者は我が民なり。我が民ゆへ真実に愛する也。愛する故に争ふことを喩へていはば、吾が子に灸する如し。逃げまはるをだましとらへて灸すれば、跳ねつはねつ反りかへり、ああ熱や、最早悪事しますまい、父様母様、堪忍して下さりませと泣きさけぶ。親は涙を流し、歯をくいしばつても灸する也。是もあらそひに似たれども、
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『墨子』大取一に曰く乃ち是にして然り、二に曰く乃ち是にして然らず、三に曰く遷、四に曰く强。子。其の深きを深くし、其の淺きを淺くし、其の益を益し、其の尊きを尊ぶ。次を察し、山のごとく比し因り、優指に至る。復た次いで聲端の名を察し、請に因りて復す。夫の辭の惡しき者を正すは、人、右に其の請を以て焉を得。諸そ遭い執る所にして欲惡生ずる者は、人、必ずしも其の請を以て焉を得ず。聖人の拊なり。仁にして利愛無し、利愛は慮に生ず。昔者の慮は、今日の慮に非ず。昔者の人を愛するは、今の人を愛するに非ず。獲を愛するの人を愛するは、獲を利するを慮るに生じ、臧を利するを慮るに非ざるなり。而して臧を愛するの人を愛するは、乃ち獲を愛するの人を愛するなり。
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