慎思録 / 巻之三
聖人之道。本自分明。故夫婦之愚。可以與知焉。本自簡易。故夫婦之不肖。可以能行焉。然世鮮知之行之者。何也。葢因無敎無習也。
新字:聖人之道。本自分明。故夫婦之愚。可以与知焉。本自簡易。故夫婦之不肖。可以能行焉。然世鮮知之行之者。何也。葢因無教無習也。
書き下し
聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。
現代語訳
聖人の道はもともと明白です。ですから平凡な夫婦の愚かさでも知ることに加われます。もともと簡単でやさしいものです。ですから平凡な夫婦の不肖さでも行うことができます。それなのに世の中でこれを知り行う者が少ないのはなぜでしょうか。思うに、教えることがなく、習うことがないからです。
解説
『中庸』第十二章の「夫婦の愚も以て与り知るべし」「夫婦の不肖も以て能く行ふべし」を踏まえ、聖人の道はもともと誰にでも分かり行えるものだと述べます。それでも行われないのは道が難しいからではなく、教える人と習う機会が無いからだ、というのが益軒の診断です。益軒が『和俗童子訓』など平易な仮名書きの教訓書を多く著したのも、この考えに支えられています。大切なことは難解だから伝わらないのではなく、伝える仕組みがないから伝わらない、という指摘は職場の育成にもそのまま当てはまります。
この章句が説くこと
道教習簡易中庸
関連する章句
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『慎思録』巻之五孟子曰く、君子の言は、帯を下らずして、道存す、と。蓋し道は人に遠からず。性に率ふ、之を道と謂ふ。故に曰く、道なる者は、須臾も離るべからざるなり、と。身外の事に非ざるに由るなり。日用常行の間、至近の処にして、至道存す。此れ乃ち天理の流行発見する処なり。君子の道は、費にして隠なり。若し夫れ非常高遠の事に対して、以て至妙と為す者は、左太冲の所謂侈言験無く、麗なりと雖も経に非ずといふ者是れのみ。蓋し妙理を語ることは易し。一超直入、言下頓悟と雖も、亦為すべし。然れども真の悟りに非ざるのみ。
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『慎思録』巻之三君子の道は、固より敢て物を離れず、又敢て物を逐はず。夫れ物を逐ふ者は、其の心を放ちて求むることを知らず、其の欲に徇ひて反ることを知らず。道を失ふ所以なり。物を離るる者は、倫理を去り人事を廃す。道を為す所以に非ざるなり。
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『慎思録』巻之五天地の間、道に非ざる無し。鳶の飛び、魚の躍る者は、乃ち天機の発動する所、道の費なり。此れ見るべし。鳶をして飛ばしめ、魚をして躍らしむる者は、鬼神の為す所、是れ二気の良能、道の隠なり。此れ見るべからず。合せて之を言へば、則ち二気の流行する所、皆是れ天理の在る所にして、道に非ざる無し。
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『慎思録』巻之四之を導きて生養遂げ、之を教へて倫理明らかなり。然る後に人道立ち、天道成り、地道平らかなり。天地自ら位し、万物自ら育す。故に朱子曰く、儒者の道は、必ず天地に参し化育を賛くるに到りて、然る後に功用の全きと為す、と。
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『慎思録』巻之三朱子曰く、之と謂ふは之を名づくるなり。之を謂ふは直に為すなり、と。蓋し天命之を性と謂ひ、性に率ふ之を道と謂ふの類の如きは、天命は即ち是れ性、率性は即ち是れ道なり。是れ所謂直に為すなり。喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂ひ、発して皆節に中る、之を和と謂ふが如きは、蓋し未発の者は即ち是れ中に非ず。其の未発の時、其の心偏らざるを以て、故に之を名づけて中と為す。発して皆節に中る者は、即ち是れ和に非ず。其の已発の時、理に乖戻せざるを以て、故に之を名づけて和と為す。所謂之を名づくるなり。之と謂ふと之を謂ふと、其の意自ら別なること是の如し。概して混同すべからず。
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孫子・始計篇道とは、民をして上と意を同じくし、之と死す可く、之と生く可くして、危きを畏れざらしむるなり。