慎思録 / 巻之三
愛惡二者。人情之大端也。愛惡正。則道行矣。其有偏愛偏惡者。是私意之所發。所以心之不正。而道之不行也。衆人之愛惡。多出乎私意。故愛不可愛者。因私昵也。惡不可惡者。因私怨也。所以道之不行也。夫愛惡正。而當理者。爲君子。愛惡不正。而背理者。爲小人。身之修與否。家之齊與否。世之治與亂。皆繫乎愛惡之偏正而已。正愛惡之義。大乎哉。
新字:愛悪二者。人情之大端也。愛悪正。則道行矣。其有偏愛偏悪者。是私意之所発。所以心之不正。而道之不行也。衆人之愛悪。多出乎私意。故愛不可愛者。因私昵也。悪不可悪者。因私怨也。所以道之不行也。夫愛悪正。而当理者。為君子。愛悪不正。而背理者。為小人。身之修与否。家之斉与否。世之治与乱。皆繋乎愛悪之偏正而已。正愛悪之義。大乎哉。
書き下し
愛悪の二者は、人情の大端なり。愛悪正しければ、則ち道行はる。其の偏愛偏悪有る者は、是れ私意の発する所にして、心の正しからずして、道の行はれざる所以なり。衆人の愛悪は、多く私意に出づ。故に愛すべからざるを愛するは、私昵に因るなり。悪むべからざるを悪むは、私怨に因るなり。道の行はれざる所以なり。夫れ愛悪正しくして理に当たる者を君子と為し、愛悪正しからずして理に背く者を小人と為す。身の修まると否と、家の斉ふと否と、世の治と乱と、皆愛悪の偏正に繋かるのみ。愛悪を正すの義、大なるかな。
現代語訳
好きと嫌いの二つは、人の情のいちばん大きな筋です。好き嫌いが正しければ道は行われます。偏って好んだり偏って憎んだりするのは私心から出たもので、心が正しくなく道が行われない原因です。一般の人の好き嫌いは多く私心から出ます。ですから愛すべきでないものを愛するのは個人的ななれ合いのせいであり、憎むべきでないものを憎むのは個人的な恨みのせいです。それで道が行われないのです。好き嫌いが正しく理にかなう者を君子とし、正しくなく理に背く者を小人とします。身が修まるかどうか、家が整うかどうか、世が治まるか乱れるかは、すべて好き嫌いが偏るか正しいかにかかっています。好き嫌いを正すという意義は、なんと大きいことでしょう。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之五人の行を制する、苟も理に当たらば、則ち須らく自ら信ずべし。他人の誹議に由りて、憂戚を為し疑惑を生ずべからず。逸詩に云ふ、礼義愆たずんば、何ぞ人言を恤へん、と。若し夫れ小人の忌憚無き者は、之に居りて疑はず、世議有りと雖も省みず。所謂人言憂ふるに足らずとは、小人の自ら是とするなり。私欲の昏蔽に因りて、其の不善を知ること能はざるなり。是れ君子の自信と、日を同じくして語るべからず。
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『呻吟語』内篇・應務・理を推して是れ視る時勢を以て理を低昂する者は、眾人なり。理を以て時勢を低昂する者は、賢人なり。理を推して是れ視、低昂する所無き者は、聖人なり。