慎思録 / 巻之三
程子曰。天地生物之氣象。可見而不可言。善觀於此者。必知道也。篤信竊謂。易曰。天地之大德曰生。葢天地別無心。別無事。獨以生物爲心。且以爲事而巳矣。故能見天地生物之理行于四時。著于萬物。而有默識之者。卽此知道也。程子之言可信。天地生物之理。人受之以爲心。所謂仁也。温和慈愛。便是天地生物之氣象也。
新字:程子曰。天地生物之気象。可見而不可言。善観於此者。必知道也。篤信窃謂。易曰。天地之大徳曰生。葢天地別無心。別無事。独以生物為心。且以為事而巳矣。故能見天地生物之理行于四時。著于万物。而有黙識之者。即此知道也。程子之言可信。天地生物之理。人受之以為心。所謂仁也。温和慈愛。便是天地生物之気象也。
書き下し
程子曰く、天地生物の気象は、見るべくして言ふべからず。善く此を観る者は、必ず道を知るなり、と。篤信窃かに謂ふ、易に曰く、天地の大徳を生と曰ふ、と。蓋し天地は別に心無く、別に事無し。独り物を生ずるを以て心と為し、且つ以て事と為すのみ。故に能く天地生物の理の四時に行はれ、万物に著はるるを見て、之を黙識する者有らば、即ち此れ道を知るなり。程子の言信ずべし。天地生物の理、人之を受けて以て心と為す。所謂仁なり。温和慈愛、便ち是れ天地生物の気象なり。
現代語訳
程子は「天地が物を生み出す気象は、見ることはできても言葉にはできない。これをよく観る者は必ず道を知る」と言いました。私(篤信)はひそかに思います。『易』に「天地の大いなる徳を生という」とあります。天地にはほかに心もほかに仕事もなく、ただ物を生むことを心とし、それを仕事としているだけです。ですから天地が物を生む理が四季にめぐり万物に現れているのを見て、それを黙って心に悟る者があれば、それこそ道を知ることです。程子の言葉は信じてよいものです。天地が物を生む理を人が受けて心としたもの、それがいわゆる仁です。温和で慈しみ深いことが、すなわち天地が物を生む気象なのです。
解説
益軒は程明道の言葉と『易』繋辞伝下の「天地の大徳を生と曰ふ」を結び、天地の心は物を生むことだけだと言います。朱子学では、天地が万物を生む心を人が受けたものが仁であるとされ、益軒はそれを「温和慈愛」という身近な気象で言い直しました。抽象的な理を、季節のめぐりや草木の芽吹きを見て黙って悟るものとして示すのが益軒らしいところです。人を育て物を生かす働きに温かさがあるかどうかを、自分の仕事ぶりで確かめる手がかりになります。
この章句が説くこと
仁道天地生慈愛
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