慎思録 / 巻之二
感恩報德之事。君子之所厚。而衆人之所易忘也。司馬温公曰。受人之恩。而不忍負者。其人必忠孝。誠哉此言也。忠孝亦是不忘君父之恩之道也。世人受人之恩。而不知報之。反負之者多矣。如伍子胥進伯嚭。嚭卒讒子胥。李德裕起牛僧孺。僧孺卒排德裕之類。且衆人受恩而報之。雖或厚之於始。然或薄之終。是衆人薄俗之通情也。竊謂。感恩與忘恩。是君子小人之所由分也。知恩與不知恩。是人與禽獸之所由分也。故簡子曰。唯賢者而能爲報恩。夫受恩不忘者。君子之事也。忘恩負德者。小人之事也。學者其可不用心乎。
新字:感恩報徳之事。君子之所厚。而衆人之所易忘也。司馬温公曰。受人之恩。而不忍負者。其人必忠孝。誠哉此言也。忠孝亦是不忘君父之恩之道也。世人受人之恩。而不知報之。反負之者多矣。如伍子胥進伯嚭。嚭卒讒子胥。李徳裕起牛僧孺。僧孺卒排徳裕之類。且衆人受恩而報之。雖或厚之於始。然或薄之終。是衆人薄俗之通情也。窃謂。感恩与忘恩。是君子小人之所由分也。知恩与不知恩。是人与禽獣之所由分也。故簡子曰。唯賢者而能為報恩。夫受恩不忘者。君子之事也。忘恩負徳者。小人之事也。学者其可不用心乎。
書き下し
恩に感じ徳に報ゆるの事は、君子の厚くする所にして、衆人の忘れ易き所なり。司馬温公曰く、人の恩を受けて、負くに忍びざる者は、其の人必ず忠孝なり、と。誠なるかな此の言や。忠孝も亦た是れ君父の恩を忘れざるの道なり。世人は人の恩を受けて、之に報ゆることを知らず、反って之に負く者多し。伍子胥の伯嚭を進め、嚭卒に子胥を讒し、李徳裕の牛僧孺を起こし、僧孺卒に徳裕を排するの類の如し。且つ衆人の恩を受けて之に報ゆるも、或いは之を始めに厚くすと雖も、然れども或いは之を終はりに薄くす。是れ衆人薄俗の通情なり。窃かに謂ふ、恩に感ずると恩を忘るるとは、是れ君子小人の由りて分かるる所なり。恩を知ると恩を知らざるとは、是れ人と禽獣との由りて分かるる所なり。故に簡子曰く、唯だ賢者にして能く恩に報ゆることを為す、と。夫れ恩を受けて忘れざる者は、君子の事なり。恩を忘れ徳に負く者は、小人の事なり。学者其れ心を用ゐざるべけんや。
現代語訳
恩に感じ徳に報いることは、君子が厚くするところであり、多くの人が忘れやすいところです。司馬温公は「人から恩を受けて、それに背くに忍びない者は、その人は必ず忠孝である」と言いました。まことにそのとおりの言葉です。忠孝もまた、君と父の恩を忘れない道です。世の人は人から恩を受けても報いることを知らず、かえって背く者が多い。伍子胥が伯嚭を推挙したのに、伯嚭がついに伍子胥を讒言したこと、李徳裕が牛僧孺を引き立てたのに、牛僧孺がついに李徳裕を排斥したことの類です。また多くの人は恩を受けて報いても、初めは厚くしても終わりには薄くします。これは多くの人の薄っぺらな風俗の常の情です。ひそかに思うに、恩に感じるか恩を忘れるかで、君子と小人が分かれます。恩を知るか知らないかで、人と禽獣が分かれます。だから簡子は「ただ賢者だけが恩に報いることができる」と言いました。恩を受けて忘れないのは君子のことであり、恩を忘れ徳に背くのは小人のことです。学ぶ者はどうして心を用いずにいられましょう。
解説
この章句が説くこと
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論語・憲問篇子曰く、君子にして不仁なる者有るかな。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。
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論語・為政篇子曰く、「君子は器ならず。」
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論語・学而篇子曰く、「君子は食らうに飽くことを求めず、居るに安きを求めず、事に敏にして言に慎み、有道に就いて正す。学を好むと謂う可きのみ。」
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