慎思録 / 巻之二
人有忘恩背德者。其人必事父不孝。事君不忠。何則忠孝亦是報恩之大者也。苟無報恩之心。何忠孝之可爲耶。君子百行之中。報恩爲大。人若有忘恩。其餘不足觀也已。是學者之所當自省。而察其有無也。夫爲人而不能事天地。爲子而不能事父母。爲臣而不能事君。爲弟子而不能事師。受人之惠而不能報。皆是忘恩負德之人。不可長也。唯信義而有守者。受人之恩而能爲感。如柔懦而無守者。雖有悅恩之心。無感激之心。故不能報恩。
新字:人有忘恩背徳者。其人必事父不孝。事君不忠。何則忠孝亦是報恩之大者也。苟無報恩之心。何忠孝之可為耶。君子百行之中。報恩為大。人若有忘恩。其余不足観也已。是学者之所当自省。而察其有無也。夫為人而不能事天地。為子而不能事父母。為臣而不能事君。為弟子而不能事師。受人之恵而不能報。皆是忘恩負徳之人。不可長也。唯信義而有守者。受人之恩而能為感。如柔懦而無守者。雖有悦恩之心。無感激之心。故不能報恩。
書き下し
人に恩を忘れ徳に背く者有れば、其の人必ず父に事へて不孝、君に事へて不忠なり。何となれば則ち忠孝も亦た是れ報恩の大なる者なればなり。苟も報恩の心無ければ、何の忠孝か之れ為すべけんや。君子百行の中、報恩を大と為す。人若し恩を忘るること有れば、其の余は観るに足らざるのみ。是れ学者の当に自ら省みて、其の有無を察すべき所なり。夫れ人と為りて天地に事ふること能はず、子と為りて父母に事ふること能はず、臣と為りて君に事ふること能はず、弟子と為りて師に事ふること能はず、人の恵みを受けて報ゆること能はざるは、皆是れ恩を忘れ徳に背くの人にして、長ずべからざるなり。唯だ信義にして守り有る者は、人の恩を受けて能く感を為す。柔懦にして守り無き者の如きは、恩を悦ぶの心有りと雖も、感激の心無し。故に恩に報ゆること能はず。
現代語訳
人に恩を忘れ徳に背く者がいれば、その人は必ず父に仕えて不孝であり、君に仕えて不忠です。なぜなら、忠孝もまた恩に報いることの大きなものだからです。もし恩に報いる心がなければ、どうして忠孝を行えましょう。君子のあらゆる行いの中で、報恩が大きなものです。人がもし恩を忘れるなら、その他のことは見るに足りません。これは学ぶ者が自ら省みて、その有無を察すべきことです。人でありながら天地に仕えることができず、子でありながら父母に仕えることができず、臣でありながら君に仕えることができず、弟子でありながら師に仕えることができず、人の恵みを受けて報いることができないのは、みな恩を忘れ徳に背く人であって、長く付き合ってはなりません。ただ信義があって節操のある者は、人の恩を受けてよく感じ入ります。気弱で節操のない者は、恩を喜ぶ心はあっても、感激する心がありません。だから恩に報いることができないのです。
解説
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『慎思録』巻之二恩に感じ徳に報ゆるの事は、君子の厚くする所にして、衆人の忘れ易き所なり。司馬温公曰く、人の恩を受けて、負くに忍びざる者は、其の人必ず忠孝なり、と。誠なるかな此の言や。忠孝も亦た是れ君父の恩を忘れざるの道なり。世人は人の恩を受けて、之に報ゆることを知らず、反って之に負く者多し。伍子胥の伯嚭を進め、嚭卒に子胥を讒し、李徳裕の牛僧孺を起こし、僧孺卒に徳裕を排するの類の如し。且つ衆人の恩を受けて之に報ゆるも、或いは之を始めに厚くすと雖も、然れども或いは之を終はりに薄くす。是れ衆人薄俗の通情なり。窃かに謂ふ、恩に感ずると恩を忘るるとは、是れ君子小人の由りて分かるる所なり。恩を知ると恩を知らざるとは、是れ人と禽獣との由りて分かるる所なり。故に簡子曰く、唯だ賢者にして能く恩に報ゆることを為す、と。夫れ恩を受けて忘れざる者は、君子の事なり。恩を忘れ徳に負く者は、小人の事なり。学者其れ心を用ゐざるべけんや。
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『慎思録』巻之二報恩の一事は、人道の宜しく勤むべき所なり。史記三本の語、欒共子の民は三に生くるの言、宜しく之を顧念すべし。夫れ天覆ひ地載せ、父生み母育て、君養ひ聖教へ師導くを以て、是れ皆吾に於て罔極の恩有り。豈に一日も之を忘るべけんや。豺獺すら皆本に報ゆることを知る。若し恩を忘れ徳に背く者は、豺獺に如かざるなり。学者は須らく君親と天地聖師とに報ゆる所以を省念すべし。蓋し忠孝順事報徳の志は、一日も怠廃すべからざるなり。君父師の恩の如きは、間々亦た粗之を知る者有り。天地聖人の恩に至っては、蓋し之を知る者極めて少なし。学者の当に忘れざるべき所なり。
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『慎思録』巻之一天地は恩を万物に施して、其の報いを望まず。父母は恩を子孫に施して、其の報いを望まず。蓋し天地父母は、本報いを求むるに意無し。其の恩の広大にして窮まり無き所以なり。今繊芥の恩を人に施して、人報いざれば、則ち忿懟を為す。是れ誠に薄夫と謂ふべきなり。
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『慎思録』巻之六家に居て孝ならず、君に事へて忠ならざるは、厥の罪惟れ鈞し。不忠の人は、君得て之を斥く。不孝の人は、父忍びて之を容る。惟だ幸ひにして免るるのみ。人の子たる者、父の忍び容るる所と為るは、此れ不孝の甚だしきなり。父の譴責を被らずと雖も、豈に恥づる心あらざるべけんや。
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『慎思録』巻之五人に施して報いざれば、則ち随ひて之を恨む。是れ庸人の情なり。夫れ人に施して其の報いを得んと欲するは、是れ市井交易の道にして、固より賤しむべしと為す。君子の人に恵むや、道を行はんが為なり。豈に報いを求むるに心有らんや。然れども是れ常人の免れ難き所なり。戒めざるべけんや。