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慎思録 / 巻之二

晉語曰。范文子謂其宗祝曰。君驕泰。難必作。吾恐及焉。凡吾宗祝爲我祈死。先難爲免。七年夏范文子卒。冬難作。柳宗元曰。文子乞死而得。亦妄之大者。篤信曰。平重盛患父之暴逆。而難之及焉。欲先難死矣。於此特詣熊野神祠祈死。歸來而後卒。世傳以爲美談。此亦柳子厚所謂妄之大者。可謂不知命也。其死者偶然爾。嗚呼重盛是恭敬慈祥之人。本朝振古之善人。雖淸盛之暴逆。亦恥之。重盛在焉。平家不亡。然不知聖學。誠可惜哉。且先父而祈死。可謂不孝也。而其志則哀矣。

新字:晋語曰。范文子謂其宗祝曰。君驕泰。難必作。吾恐及焉。凡吾宗祝為我祈死。先難為免。七年夏范文子卒。冬難作。柳宗元曰。文子乞死而得。亦妄之大者。篤信曰。平重盛患父之暴逆。而難之及焉。欲先難死矣。於此特詣熊野神祠祈死。帰来而後卒。世伝以為美談。此亦柳子厚所謂妄之大者。可謂不知命也。其死者偶然爾。嗚呼重盛是恭敬慈祥之人。本朝振古之善人。雖清盛之暴逆。亦恥之。重盛在焉。平家不亡。然不知聖学。誠可惜哉。且先父而祈死。可謂不孝也。而其志則哀矣。

書き下し

晋語に曰く、范文子其の宗祝に謂ひて曰く、君驕泰なり。難必ず作らん。吾及ばんことを恐る。凡そ吾が宗祝、我が為に死を祈り、難に先んじて免れしめよ、と。七年夏范文子卒す。冬難作る。柳宗元曰く、文子死を乞ひて得たり。亦た妄の大なる者なり、と。篤信曰く、平重盛は父の暴逆を患ひて、難の及ばんことを恐れ、難に先んじて死せんと欲す。此に於て特に熊野の神祠に詣でて死を祈り、帰り来たりて後に卒す。世伝へて以て美談と為す。此れも亦た柳子厚の所謂妄の大なる者にして、命を知らずと謂ふべきなり。其の死する者は偶然なるのみ。嗚呼重盛は是れ恭敬慈祥の人にして、本朝振古の善人なり。清盛の暴逆と雖も、亦た之を恥づ。重盛在らば、平家亡びず。然れども聖学を知らず。誠に惜しむべきかな。且つ父に先んじて死を祈るは、不孝と謂ふべきなり。而して其の志は則ち哀しむべし。

現代語訳

『国語』晋語に「范文子は一族の祭官に言った。『君主はおごり高ぶっている。必ず災難が起こるだろう。私はそれに巻き込まれるのを恐れる。わが一族の祭官たちよ、私のために死を祈って、災難より先に死んで免れさせてくれ』。その七年の夏に范文子は亡くなり、冬に災難が起こった」とあります。柳宗元は「文子が死を願ってかなえられたとするのは、でたらめの大きなものだ」と言いました。私篤信が言います。平重盛は父の横暴を憂え、災難が自分に及ぶのを恐れて、災難より先に死のうと願いました。そこでわざわざ熊野の社に詣でて死を祈り、帰ってきてから亡くなりました。世間はこれを伝えて美談としています。これもまた柳子厚のいう「でたらめの大きなもの」であり、命を知らないと言うべきです。その死はたまたまにすぎません。ああ、重盛は慎み深く慈しみ深い人で、わが国で昔から稀な善人でした。清盛の横暴でさえ、重盛に対しては恥じるところがありました。重盛がいれば平家は亡びなかったでしょう。しかし聖人の学を知りませんでした。まことに惜しいことです。しかも父より先に死を祈るのは、不孝と言うべきです。それでもその志は哀れむべきものです。

解説

死を祈って災難を逃れようとした二人を、命を知らない行いとして論じた条です。范文子の話は『国語』晋語六に、柳宗元の批判は『非国語』に見えます。平重盛が熊野に詣でて早世を祈った話は『平家物語』で名高い美談です。益軒は重盛の人柄を深く惜しみつつ、祈りで死を得たとするのは偶然を因果と見る誤りで、親より先の死を願うのは不孝だ、と冷静に断じます。美談として語り継がれる話でも、筋道を立てて考え直す姿勢の見本です。

この章句が説くこと

知命平重盛迷信祈り

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