慎思録 / 巻之二
程子曰。人之爲不善。只爲不知。愚謂。頑民之蚩蚩爲不善。猶赤子之入井。飛蛾之赴火。然所以不可無敎戒也。斯民也。三代之所以直道而行也。且吾邦民俗。本自質樸。聞敎則易信從。唯恨在不知學而巳。
新字:程子曰。人之為不善。只為不知。愚謂。頑民之蚩蚩為不善。猶赤子之入井。飛蛾之赴火。然所以不可無教戒也。斯民也。三代之所以直道而行也。且吾邦民俗。本自質樸。聞教則易信従。唯恨在不知学而巳。
書き下し
程子曰く、人の不善を為すは、只だ知らざるが為なり、と。愚謂ふ、頑民の蚩々として不善を為すは、猶ほ赤子の井に入り、飛蛾の火に赴くがごとし。然らば教戒無かるべからざる所以なり。斯の民や、三代の直道にして行ふ所以なり。且つ吾が邦の民俗は、本と自ら質樸なり。教へを聞けば則ち信従し易し。唯だ恨むらくは学を知らざるに在るのみ。
現代語訳
程子は「人が不善を行うのは、ただ知らないからだ」と言いました。私が思うに、頑なな民が無知のまま不善を行うのは、ちょうど幼子が井戸に落ち、飛ぶ蛾が火に向かうようなものです。だから教え戒めがなくてはならないのです。この民こそ、夏・殷・周の三代がまっすぐな道で治めた民です。しかもわが国の民の風俗は、もともと素朴です。教えを聞けば信じて従いやすい。ただ残念なのは、学ぶことを知らないという点だけです。
解説
人が悪をなすのは知らないからであり、だから教えることが大切だ、と説く条です。「赤子の井に入る」は『孟子』公孫丑上、「斯の民や、三代の直道にして行ふ所以なり」は『論語』衛霊公篇の言葉です。益軒は日本の民を素朴で教えれば従いやすいと見て、学ぶ機会がないことを惜しみます。平易な和文の教訓書を数多く書いたのは、この思いからでした。ルールを破る人を責める前に、きちんと伝わっていたかを問う姿勢は、職場の教育にも通じます。
この章句が説くこと
教化無知教育民程子
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