慎思録 / 巻之二
學者平日有達生委命之工夫。則其臨變也。無畏縮失守之患。而有確乎不可拔之操。然雖聰明疏通之人。其志操不堅確。則不免有此患。然則不可無平素之工夫。
新字:学者平日有達生委命之工夫。則其臨変也。無畏縮失守之患。而有確乎不可抜之操。然雖聰明疏通之人。其志操不堅確。則不免有此患。然則不可無平素之工夫。
書き下し
学者平日に達生委命の工夫有れば、則ち其の変に臨むや、畏縮失守の患ひ無くして、確乎として抜くべからざるの操有り。然れども聡明疏通の人と雖も、其の志操堅確ならざれば、則ち此の患ひ有ることを免れず。然らば則ち平素の工夫無かるべからず。
現代語訳
学ぶ者が普段から、生の理に通じ命を天に委ねる工夫をしていれば、非常の事態に臨んでも、恐れ縮こまって守りを失う心配がなく、しっかりとして抜くことのできない節操があります。しかし聡明で物分かりのよい人でも、その志と節操が堅くなければ、この心配を免れません。そうであれば、普段の工夫がなくてはなりません。
解説
非常時に動じない心は、頭の良さではなく普段の工夫から生まれる、という条です。「達生」は『荘子』達生篇の、生の真相に通じるという語で、「委命」は命を天に委ねることです。「確乎として其れ抜くべからず」は『易経』乾卦の文言伝の言葉です。二・九十八の、平日から命に安んじておかなければ死生の際に乱れる、という考えと対になっています。災害や急な病、仕事の危機に際して落ち着いていられるかは、日頃の覚悟の積み重ねにかかっていると教えてくれます。
この章句が説くこと
達生委命志操工夫処変
関連する章句
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『慎思録』巻之四時勢の不幸は、巧みに免るること能はず。此の時に方りては、亦た奈何ともすべき無し。唯だ己を修め言を慎み、命に安んじ自ら寛くするの工夫有るのみ。苟も神仏に諂ひ祈り、権家に諛ひ索むれば、守りを失ふと謂ふべし。是れ命を知らざるなり。
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『呻吟語』内篇・問學・心平らか氣和して卻って執持擔當す學者只だ能く心を平らかにし氣を和せしむれば、便ち幾分の工夫有り。心平らか氣和して人事に遇へば卻って執持擔當し、毅然として撓まざれば、便ち幾分の人品有り。
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『慎思録』巻之六孔子は迅雷風烈には必ず変ず。玉藻に曰く、若し疾風迅雷甚雨有らば、則ち必ず変ず。夜と雖も必ず興き、衣冠して坐すと。変ずとは旧容を改むるなり。天の怒りを敬する所以なり。危きに臨みて懼れず、義に当たりて其の身を愛まず、是れ君子の変に処するの道なり。此くの如くならざるべからず。須らく此に於いて能く勇猛果敢にして、奮発すべし。若し恐怖して苟も免れんとせば、則ち平日小廉曲謹有りと雖も、観るに足らざるのみ。蓋し大節に臨みて奪ふべからざるは、君子人と為すべきなり。
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『慎思録』巻之四人の命を天に禀くるや、其の資各厚薄崇卑有り。故に富貴貧賤吉凶禍福は、皆天に繋る。其の禀受するや、自ら定分有りて、遷し移すべからず。唯だ須らく法を行ひ安静にして、以て天命を俟つべきのみ。昧き者は此の理に達せず、以為へらく人力移し奪ふべし、と。故に常に自ら僥倖し、富貴を貪り求め、貧賤を厭ひ悪む。此れ命を知らずして義を失ふに繇るなり。然れども之を求めて得ること能はず、之を避けて免るること能はず。徒らに心力を費やすのみ。故に孔子曰く、命を知らざれば、以て君子為ること無きなり、と。
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『慎思録』巻之四君子の世に処るや、常有り変有り。常に居りては固より宜しく勤慎すべし。変に逢ひては最も須らく力を用ふべし。大凡大節に臨みて奪ふべからずして、而る後に其の君子為ることを見る。苟も此の処に於て一たび節を失はば、平日他の善の称すべき有りと雖も、亦た観るに足らざるのみ。揚雄劉歆趙孟頫の輩の如き、是れなり。曾子、六尺の孤を託し、百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪ふべからざるを以て、君子人と為す。其の意観るべし。
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『慎思録』巻之一心を平らかにし気を和らぐるは、是れ身を養ひ徳を養ふの工夫なり。気を養ひて暴ふこと無きの工夫は、温恭和順、従容として迫らず、声色を動かさざるに在り。気を養ふこと此くの如くなれば、以て其の楽しみを失はざるべし。温恭の二字、経伝多く之を言ふ。是れ善を為すの初めなり。苟も是くの如くならざれば、則ち善を為すこと能はず。人に接するの道、当に是くの如くなるべし。