慎思録 / 巻之四
君子之處世也。有常有變。居常固宜勤愼。逢變最須用力。大凡臨大節不可奪。而後見其爲君子。苟於此處一失節。雖平日有他善可稱。亦不足觀而巳。如楊雄劉歆趙孟頫之輩是也。曾子以託六尺之孤。寄百里之命。臨大節而不可奪。爲君子人也。其意可觀。
新字:君子之処世也。有常有変。居常固宜勤慎。逢変最須用力。大凡臨大節不可奪。而後見其為君子。苟於此処一失節。雖平日有他善可称。亦不足観而巳。如楊雄劉歆趙孟頫之輩是也。曽子以託六尺之孤。寄百里之命。臨大節而不可奪。為君子人也。其意可観。
書き下し
君子の世に処るや、常有り変有り。常に居りては固より宜しく勤慎すべし。変に逢ひては最も須らく力を用ふべし。大凡大節に臨みて奪ふべからずして、而る後に其の君子為ることを見る。苟も此の処に於て一たび節を失はば、平日他の善の称すべき有りと雖も、亦た観るに足らざるのみ。揚雄劉歆趙孟頫の輩の如き、是れなり。曾子、六尺の孤を託し、百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪ふべからざるを以て、君子人と為す。其の意観るべし。
現代語訳
君子が世に処するには、平常のときと変事のときがあります。平常のときはもちろん勤め慎むべきであり、変事に出会ったときには最も力を尽くさなければなりません。およそ大きな節目に臨んで志を奪われないことで、初めてその人が君子であることがわかります。もしこの場面で一度でも節を失えば、普段ほかにほめるべき善があっても、見るに足りません。揚雄・劉歆・趙孟頫のような者がそれです。曾子は、幼い君主を託すことができ、一国の命運を預けることができ、大きな節目に臨んで志を奪われない人を君子人としました。その意味をよく考えるべきです。
解説
人の真価は大きな節目で節操を守れるかどうかで決まると説く条です。前漢の揚雄と劉歆は王莽の新に仕え、宋の皇族であった趙孟頫は元に仕えたため、学問や書画の才があっても節を失ったと批判されてきました。曾子の言葉は『論語』泰伯篇の「以て六尺の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪ふべからず。君子人か、君子人なり」です。平時の評判より、いざというときに筋を通せるかが信頼の本当の基準だという教えは、仕事の信用にもそのまま当てはまります。
この章句が説くこと
節義君子義信頼大節
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論語・公冶長篇子、子産を謂う、「君子の道四つ有り。其の己を行うや恭、其の上に事うるや敬、其の民を養うや恵、其の民を使うや義。」