慎思録 / 巻之二
孟子曰。心之官則思。思則得之。不思則不得也。古來讀書者常多矣。然知道者極鮮矣。何則由不思之也。惟不思可謂心之官曠其職矣。孔子曰。學而不思則罔。思之功與學相對。其益大哉。
新字:孟子曰。心之官則思。思則得之。不思則不得也。古来読書者常多矣。然知道者極鮮矣。何則由不思之也。惟不思可謂心之官曠其職矣。孔子曰。学而不思則罔。思之功与学相対。其益大哉。
書き下し
孟子曰く、心の官は則ち思ふ。思へば則ち之を得、思はざれば則ち得ざるなり、と。古来書を読む者は常に多し。然れども道を知る者は極めて鮮なし。何となれば則ち之を思はざるに由るなり。惟だ思はざるは心の官其の職を曠しくすと謂ふべし。孔子曰く、学びて思はざれば則ち罔し、と。思の功は学と相対す。其の益大なるかな。
現代語訳
孟子は「心の働きは思うことである。思えば得られ、思わなければ得られない」と言いました。昔から書を読む者はいつも多い。しかし道を知る者はきわめて少ない。なぜなら思わないからです。ただ思わないのは、心という役所がその職務を怠っていると言うべきです。孔子は「学んで思わなければ、道理がくらくてはっきりしない」と言いました。思うことの功は学ぶことと対をなします。その益はなんと大きいことでしょう。
解説
本書の題名『慎思録』の核心を示す条です。「心の官は則ち思ふ」は『孟子』告子上、「学びて思はざれば則ち罔し」は『論語』為政篇の言葉です。心を役所にたとえ、思うことがその職務であり、思わないのは職務の放棄だ、という言い方は鮮やかです。本を多く読んでも道を知る人が少ないのは、読んだことを自分で考えないからだ、という指摘は、情報を浴びるように受け取る今の私たちに、そのまま向けられています。読んだ後に考える時間を取っているかが問われます。
この章句が説くこと
思慎思学問心読書
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