都鄙問答 / 卷之一・都鄙問答ノ段
雖多亦奚以爲ト、專對ルハ心ナリ、詩三百ヲ誦ハ文ナリ、和漢トモニ小事ヲ見テ、大事ヲ見ル者少ナリ、陋哉文學ニ伐、文藝モ道ノ助トナレバ、舍コトニハアラズ、愚、文學拙ヲ以テ悔トイヘドモ、民間ニ產、家貧シテ學ブベキ暇ナク、四十餘ノ比ヨリ此道ニ志、如何シテ文學マデニ至ベキ、只恥ベキハ、何方ヘ一簡ノ饋ルトモ、文字ニ於テ誤コトゾ多カルベシ、見人コレヲ用捨有ランコトヲ願フ、
新字:雖多亦奚以為ト、専対ルハ心ナリ、詩三百ヲ誦ハ文ナリ、和漢トモニ小事ヲ見テ、大事ヲ見ル者少ナリ、陋哉文学ニ伐、文芸モ道ノ助トナレバ、舎コトニハアラズ、愚、文学拙ヲ以テ悔トイヘドモ、民間ニ産、家貧シテ学ブベキ暇ナク、四十余ノ比ヨリ此道ニ志、如何シテ文学マデニ至ベキ、只恥ベキハ、何方ヘ一簡ノ饋ルトモ、文字ニ於テ誤コトゾ多カルベシ、見人コレヲ用捨有ランコトヲ願フ、
書き下し
多しと雖も亦奚を以て為さん、と。専対するは心なり。詩三百を誦するは文なり。和漢ともに小事を見て、大事を見る者少なし。陋しいかな文学に伐る。文芸も道の助けとなれば、舎つることにはあらず。愚、文学拙きを以て悔ゆといへども、民間に産まれ、家貧しくして学ぶべき暇なく、四十余の比より此の道に志す。如何して文学までに至るべき。只恥づべきは、何方へ一簡の饋るとも、文字に於いて誤ることぞ多かるべし。見る人これを用捨有らんことを願ふ。
現代語訳
たくさん覚えていても何の役に立とうか』と言いました。一人で応対するのは心の働きです。詩三百を暗誦するのは文です。日本でも中国でも、小さなことを見て大きなことを見る者は少ないのです。文字の学問を誇るとは卑しいことです。文芸も道の助けとなるのですから、捨てるわけではありません。私は文字の学問が拙いことを悔いていますが、民間に生まれ、家が貧しくて学ぶ暇もなく、四十歳余りのころからこの道を志したのです。どうして文字の学問にまで至れましょう。ただ恥ずかしいのは、どこへ一通の手紙を送るにも、文字の誤りが多いことでしょう。読む人がこれを大目に見てくださるよう願うばかりです。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『都鄙問答』卷之一・都鄙問答ノ段答ふ、厚き志し過分の至りなり。先づ今日教へをなす志しを語らん。孟子曰く、人の道有るや、飽食煖衣、逸居して教へ無ければ、則ち禽獣に近し。聖人之を憂ふること有り、契をして司徒たらしめ、教ふるに人倫を以てす。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り、と。此の五つの者を能くするを学問の功とす。これにて古人の学と云ふ者を知るべし。論語学而の篇にも、大抵皆本を務むることを多くせり。人倫の大原は天に出でて、仁義礼智の良心よりなす。孟子又曰く、学問の道は他無し、其の放心を求むるのみ、と。此の心を知りて後に、聖人の行ひを見て法を取るべし。君の道を尽くし玉ふは堯にあり、孝の道を尽くし玉ふは舜にあり、臣の道を尽くし玉ふは周公にあり、学問の道を尽くし玉ふは大聖孔子なり。此れ皆孟子の所謂性のままにして、上下天地と流れを同じくす。
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『都鄙問答』卷之四・學者ノ行狀心得難キヲ問ノ段答ふ、いかにも書物を読むことにて候。然れども書物を読みて、書の心を知らざれば、学問とはいはず。聖人の書は、自ら心を含め玉ふ。其心を知るを学問と云ふ。然るに文字ばかりを知るは、一芸なるゆへに、文字芸者と云ふ。曰く、書を読むは同じくして、汝今分けて二つとするは、証あることに候や。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段曰く、加様の類は、深く詮議せざることなれば、早速は返答なりがたし。答、此三言は、皆我心のことなるが、其を急々に返答ならずといはゞ、書を見ること多しといふとも、何の益あらん。論語の書は、皆聖人の心なるに、其心を知らずして、何を法として身を脩、人を教られ候や。
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『囲炉夜話』第百四十則・只だ貧にして志有るを要す士既に學ぶを知るも、還た學びて恒無きを恐る。人は貧を患へず、只だ貧にして志有るを要す。
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『都鄙問答』卷之一・孝ノ道ヲ問ノ段答ふ、汝も少しは学問を致されしと見えて、孝経を引用すといへども、尽く本意に違へり。父に争子有れば則ち身不義に陥らずとのたまふは、親無道にして欲悪甚だしく、或いは君を弑し、国を奪ひ、下たる者は盗などをなす、大なる不義ある時は、善に遷らしめん為の争ひなり。汝は親に仁義の心有りて人を救ふを、我が不仁不義を以て、拒み争ふと云ふものなり。子としては親を善に導くべきを、反りて悪道へ陥れしむること有るべきや。汝の如く書を見なす者も、学問せし者と云はば、世の人、学問は不仁の本となりと思ふべし。然る時は、学問を廃る罪人なり。元来世間に、書を読むのみを学問と思ひ、書の心を知らざるゆへに、汝が如く見誤ること多し。総て経書は聖人の心なり。聖人の心も我が心も、
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『都鄙問答』卷之一・都鄙問答ノ段答ふ、替はりたる教へに非ず。汝不審の所を語るべし。我何方を師家とも定めず、一年或いは半季、聞き巡るといへども、我が初心と愚昧の病より、此ぞと心定まらず、心に合へる所もなく、年月これを歎きしに、或る所に隠遁の学者あり。此の人に出会ひ、物語の上、心の沙汰に及びし所、一言の上にて、先には早速聞き取りて、汝は心を知りたりと思ふらめど、未だ知らず。学びし所雲泥の違ひあり。心を知らずして、聖人の書を見るならば、毫釐の差、千里の謬りと成るべしと云へり。然れども我が云ふこと、先方へ聞こえざるゆへに、斯く申さるると心得て、幾度も論議に及ぶといへども、肯ふ気色見えず。我益々合点ゆかず。或る時彼の人の云ふ、汝何の為に学問致し候や。答へて云ふ、五倫五常の道を以て、我より以下の人に、