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慎思録 / 巻之二

中庸言。大德必得位祿名壽。葢以德爲主。幷而數之。則雖與洪範五福不同。是亦可以爲五福也。葢人身雖有百福。分屬之。則不出于此五者之外。而已。然德者其本。而福之最大者也。位祿名壽四者。福之末。而其小者也。君子苟有德。則雖無四福。非所爲憂也。或曰。君子是有德之人。雖無位祿名之三者。固非所可慊也。然而死生亦大矣。故洪範五福。壽居其第一。其所重可知而巳矣。無壽。則不能行道成德。而致遠大之功。如顏子雖亞聖。不幸短命。而不能成功業。如朱子惜呂與叔之壽不永。是也。然則死生壽夭之際。雖君子。恐不能無憾。如之何。予答之曰。壽夭者。天之所命。不可變易。故君子行法以俟命而巳。夫有生必有死。是物理之自然。修短之間。知命者。何足恨哉。故曰。朝聞道。夕死可矣。君子之道。平生無事之時。固當安命。而死生壽夭之際。最所當著力也。然非其平日見理之明。安命之深。豈至此而可不亂哉。

新字:中庸言。大徳必得位禄名寿。葢以徳為主。幷而数之。則雖与洪範五福不同。是亦可以為五福也。葢人身雖有百福。分属之。則不出于此五者之外。而已。然徳者其本。而福之最大者也。位禄名寿四者。福之末。而其小者也。君子苟有徳。則雖無四福。非所為憂也。或曰。君子是有徳之人。雖無位禄名之三者。固非所可慊也。然而死生亦大矣。故洪範五福。寿居其第一。其所重可知而巳矣。無寿。則不能行道成徳。而致遠大之功。如顔子雖亜聖。不幸短命。而不能成功業。如朱子惜呂与叔之寿不永。是也。然則死生寿夭之際。雖君子。恐不能無憾。如之何。予答之曰。寿夭者。天之所命。不可変易。故君子行法以俟命而巳。夫有生必有死。是物理之自然。修短之間。知命者。何足恨哉。故曰。朝聞道。夕死可矣。君子之道。平生無事之時。固当安命。而死生寿夭之際。最所当著力也。然非其平日見理之明。安命之深。豈至此而可不乱哉。

書き下し

中庸に言ふ、大徳は必ず位禄名寿を得、と。蓋し徳を以て主と為し、并せて之を数ふれば、則ち洪範の五福と同じからずと雖も、是れも亦た以て五福と為すべきなり。蓋し人身に百福有りと雖も、之を分属すれば、則ち此の五者の外に出でざるのみ。然れども徳は其の本にして、福の最も大なる者なり。位禄名寿の四者は、福の末にして、其の小なる者なり。君子苟も徳有れば、則ち四福無しと雖も、憂ひと為す所に非ざるなり。或ひと曰く、君子は是れ有徳の人なり。位禄名の三者無しと雖も、固より慊ぶべき所に非ざるなり。然り而して死生も亦た大なり。故に洪範の五福、寿其の第一に居る。其の重んずる所知るべきのみ。寿無ければ、則ち道を行ひ徳を成して、遠大の功を致すこと能はず。顔子の亜聖と雖も、不幸短命にして、功業を成すこと能はざるが如く、朱子の呂与叔の寿の永からざるを惜しむが如き、是れなり。然らば則ち死生寿夭の際は、君子と雖も、恐らくは憾み無きこと能はず。之を如何せん、と。予之に答へて曰く、寿夭は天の命ずる所にして、変易すべからず。故に君子は法を行ひて以て命を俟つのみ。夫れ生有れば必ず死有り。是れ物理の自然なり。修短の間、命を知る者、何ぞ恨むに足らんや。故に曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり、と。君子の道は、平生無事の時、固より当に命に安んずべし。而して死生寿夭の際は、最も当に力を著くべき所なり。然れども其の平日理を見るの明らかなる、命に安んずるの深きに非ざれば、豈に此に至りて乱れざるべけんや。

現代語訳

『中庸』に「大徳ある人は必ず地位・俸禄・名声・寿命を得る」とあります。思うに徳を主として、あわせてこれを数えれば、『書経』洪範篇の五福とは同じでないにしても、これもまた五福とすべきです。思うに人の身に百の福があっても、分けて属させれば、この五つの外には出ないのです。しかし徳はその根本であり、福の最も大きなものです。地位・俸禄・名声・寿命の四つは、福の末であり、小さなものです。君子にもし徳があれば、四つの福がなくても、憂えるには当たりません。ある人が言いました。「君子は徳のある人です。地位・俸禄・名声の三つがなくても、もとより不満とするには当たらないでしょう。しかし死生はまた重大です。だから洪範の五福では寿命が第一に置かれています。それが重んじられていることがわかります。寿命がなければ、道を行い徳を成して、遠大な功を上げることはできません。顔子が聖人に次ぐ人でありながら、不幸にも短命で功業を成せなかったこと、朱子が呂与叔の寿命が長くなかったことを惜しんだことが、それです。そうであれば、死生や寿命の長短の際には、君子であっても、おそらく心残りがないわけにはいかないでしょう。どうしたらよいのですか」。私は答えて言いました。「寿命の長短は天の命じるもので、変えることはできません。だから君子は法を行って命を待つだけです。そもそも生があれば必ず死があります。これは物の理の自然です。長いか短いかの間のことは、命を知る者にとって、恨むに足りましょうか。だから『朝に道を聞けば、夕べに死んでもよい』と言うのです。君子の道は、平生何事もない時には、もとより命に安んじるべきです。そして死生や寿命の長短の際こそ、最も力を入れるべき所です。しかし普段から理を見ることが明らかで、命に安んじることが深くなければ、どうしてその時に至って乱れずにいられましょう」。

解説

徳を福の根本とし、寿命の長短という最大の不安にどう向き合うかを問答で述べた条です。「大徳は必ず其の位を得」は『中庸』第十七章、五福(寿・富・康寧・攸好徳・考終命)は『書経』洪範篇、「法を行ひて以て命を俟つ」は『孟子』尽心下の言葉です。呂与叔は程門の呂大臨です。八十代の益軒が、死を前にしても乱れないためには、普段からの理解と覚悟が要る、と書いていることに重みがあります。死生の問題に平時から向き合っておくことの意味を考えさせる一条です。

この章句が説くこと

五福寿命知命聞道

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