論語 / 衛霊公篇
子曰:「由,知德者鮮矣!」
新字:子曰:「由,知徳者鮮矣!」
書き下し
子曰く、由、徳を知る者は鮮なし。
現代語訳
先生がおっしゃった。「由よ、徳というものを本当に分かっている者は少ない。」
解説
子路の名を呼んで語りかけた、短い嘆きである。徳を知る者が少ない、と。知るとは、言葉を知ることではなく、その働きを実感として理解していることだろう。徳は目に見えず、すぐに効果も出ない。だから多くの人は、あると言われても実感できない。名指しで子路に語りかけているのが気になる。子路は行動の人で、目に見える結果を重んじた。困窮の場面でも不満を口にした。その子路に対して、徳を知る者は少ない、と言う。お前もその一人だという含みがあるのかもしれないし、だから分かってくれという呼びかけかもしれない。いずれにせよ、目に見えないものの価値を人に伝える難しさが、この一句に凝縮している。効果が数字に出ないものを大事だと言い続けるのは、いつの時代も孤独な仕事である。
この章句が説くこと
窮徳不可視節品格孤独
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