師導古典を学びたいすべての人に

慎思録 / 巻之二

人之作善作不善。苟人不能報。則天報之。聖人謂積善之家必有餘慶。積不善之家必有餘殃。聖人此言。可信不可疑。人之有道德也。天之所以優厚于君子也。此人之所難得。而得之者。古來寡矣。何則天之所靳惜也。富貴福祿者。天之所厚賜于常人也。此人之所易得。而得之者。古來多矣。何則是天之所不靳惜也。然則古來學焉而有得者。其福可謂豊厚而尊榮也。何可比之於官祿之崇高哉。衆人者。其志懾矣。只知富貴之爲榮幸。而不知德義之最可尊貴。超越於富貴。是以不好德。而貪富貴而已。

新字:人之作善作不善。苟人不能報。則天報之。聖人謂積善之家必有余慶。積不善之家必有余殃。聖人此言。可信不可疑。人之有道徳也。天之所以優厚于君子也。此人之所難得。而得之者。古来寡矣。何則天之所靳惜也。富貴福禄者。天之所厚賜于常人也。此人之所易得。而得之者。古来多矣。何則是天之所不靳惜也。然則古来学焉而有得者。其福可謂豊厚而尊栄也。何可比之於官禄之崇高哉。衆人者。其志懾矣。只知富貴之為栄幸。而不知徳義之最可尊貴。超越於富貴。是以不好徳。而貪富貴而已。

書き下し

人の善を作し不善を作す、苟も人報ゆること能はざれば、則ち天之に報ゆ。聖人謂ふ、積善の家には必ず余慶有り。積不善の家には必ず余殃有り、と。聖人の此の言、信ずべくして疑ふべからず。人の道徳有るや、天の君子に優厚する所以なり。此れ人の得難き所にして、之を得る者、古来寡し。何となれば則ち天の靳惜する所なればなり。富貴福禄は、天の常人に厚く賜ふ所なり。此れ人の得易き所にして、之を得る者、古来多し。何となれば則ち是れ天の靳惜せざる所なればなり。然らば則ち古来学びて得ること有る者は、其の福豊厚にして尊栄なりと謂ふべし。何ぞ之を官禄の崇高に比すべけんや。衆人は、其の志懾し。只だ富貴の栄幸為るを知りて、徳義の最も尊貴すべくして、富貴に超越するを知らず。是を以て徳を好まずして、富貴を貪るのみ。

現代語訳

人が善を行い不善を行うとき、もし人が報いることができなければ、天がそれに報います。聖人は「善を積む家には必ず余りある慶びがあり、不善を積む家には必ず余りある災いがある」と言いました。聖人のこの言葉は、信じるべきで疑ってはなりません。人が道徳を持つのは、天が君子を手厚く遇するからです。これは人が得がたいもので、これを得た者は昔から少ない。なぜなら天が惜しむものだからです。富貴や福禄は、天が普通の人に厚く与えるものです。これは人が得やすいもので、これを得た者は昔から多い。なぜなら天が惜しまないものだからです。そうであれば、昔から学んで得るところのあった者は、その福が豊かで厚く、尊く栄えていると言うべきです。どうして官職や俸禄の高さと比べられましょう。多くの人はその志がいじけています。ただ富貴が栄えある幸せであることだけを知って、徳義が最も尊く、富貴を超えるものであることを知りません。だから徳を好まず、富貴を貪るばかりなのです。

解説

善悪には必ず報いがあることと、徳は富貴よりはるかに得がたく尊いことを述べた条で、二・八十八と同じ主題を繰り返しています。「積善の家には必ず余慶有り」は『易経』坤卦の文言伝の言葉です。天が惜しむものほど尊い、という論法で、世間の価値の順序をひっくり返しています。年収や役職の数字は比べやすいものですが、誠実さや思いやりは比べにくいぶん見落とされがちです。本当に尊いものは何か、を静かに問い直させる一条です。

この章句が説くこと

積善富貴天道余慶

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる