慎思録 / 巻之二
宰我欲短喪。而問于孔子者。非以短喪爲善。而欲必行也。其心有所未敢達。而不强解。故不敢自隱匿於其所疑。欲求孔子之至敎。以解其惑也。非如後世匿情行詐。而不吐露其實之類而已。故尹和靖曰。短喪之說。下愚且耻言之。宰我親學聖人之門。而以是爲問者。有所疑於心。而不敢强焉爾。此說忠厚。且可爲說出宰我所問之正意。黃山谷論語斷篇亦說此意。可併按。
新字:宰我欲短喪。而問于孔子者。非以短喪為善。而欲必行也。其心有所未敢達。而不強解。故不敢自隠匿於其所疑。欲求孔子之至教。以解其惑也。非如後世匿情行詐。而不吐露其実之類而已。故尹和靖曰。短喪之説。下愚且耻言之。宰我親学聖人之門。而以是為問者。有所疑於心。而不敢強焉爾。此説忠厚。且可為説出宰我所問之正意。黄山谷論語断篇亦説此意。可併按。
書き下し
宰我の喪を短くせんと欲して、孔子に問ふ者は、喪を短くするを以て善と為して、必ず行はんと欲するに非ざるなり。其の心に未だ敢へて達せざる所有りて、強ひて解せず。故に敢へて自ら其の疑ふ所を隠匿せず、孔子の至教を求めて、以て其の惑ひを解かんと欲するなり。後世の情を匿し詐りを行ひて、其の実を吐露せざるの類の如きに非ざるのみ。故に尹和靖曰く、短喪の説は、下愚すら且つ之を言ふを恥づ。宰我は親しく聖人の門に学びて、是を以て問ひを為す者は、心に疑ふ所有りて、敢へて強ひざるのみ、と。此の説は忠厚にして、且つ宰我の問ふ所の正意を説き出だすと為すべし。黄山谷の論語断篇も亦た此の意を説く。併せ按ずべし。
現代語訳
宰我が喪の期間を短くしたいと孔子に問うたのは、喪を短くするのを善いこととして、必ず行おうとしたのではありません。心にまだ納得できない所があり、無理にわかったふりをしなかったのです。だからあえて自分の疑いを隠さず、孔子の至上の教えを求めて、その惑いを解こうとしたのです。後の世の、本心を隠して偽りを行い、実情を打ち明けない類とは違います。だから尹和靖は「喪を短くするという説は、愚かな者でさえ口にするのを恥じる。宰我は聖人の門で親しく学びながら、これを問うたのは、心に疑いがあって、無理に納得しなかったからだ」と言いました。この説は思いやりが厚く、しかも宰我の問いの真意を説き明かしたものとすべきです。黄山谷の『論語断篇』もこの意味を説いています。あわせて考えるべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之六吾が夫子は文行忠信を以て教へと為し、且つ屢忠信を主とすることを言ふ。蓋し学問の道は、文を学びて以て道を明らかにし、力行して以て善を為し、忠信を主として以て誠を立つ。此の三者、一を闕くべからず。蓋し文行に非ずば、則ち理を窮め善を為すこと能はず。忠信に非ずば、則ち文行も亦進益を得ず、皆虚妄なるのみ。蓋し人道は只忠信に在り。忠信ならずば徳を立つるの基無し。故に易に曰く、忠信は徳に進む所以なりと。郷里の常人と雖も、苟も忠信無くば、則ち世に立つべからず。況んや君子の道をや。此の故に君子は之を誠にするを貴しと為す。
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『慎思録』巻之二記に云ふ、説を勦ること毋かれ、と。蓋し他人の説を攬り取りて、以て己が説と為す、之を勦説と謂ふ。夫れ他人の財を窃むすら、猶ほ之を盗と謂ふ。然るを況んや他人の美を掠め取りて、以て己が美と為すをや。賤しむべきの甚だしきなり。先輩長者に好んで人の言を取りて之を用ゐる者有り、人に告げて曰く、惟れ吾が謀に非ず、誰某の説なり、と。是れ言を取るの法と為すべし。然るに近世中華の才子も、亦た往々にして前輩の説を攬り取りて、以て己が説と為す者有り。其の志懾し。近世の薄俗、本邦の人も、往々にして亦た此くの如し。恥を知らざるの甚だしきなり。
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『呻吟語』内篇・問學・第一に信を體するを要す我は我を信じ得過ぐるも、人は未だ必ずしも我を信じ得過ぎず。故に君子は嫌を避く。若し正大光明の心を以てすること青天白日の如く、又た至誠惻怛の意を以てすること火の熱く水の寒きが如くんば、何の嫌か避く可けん。故に君子の學問は第一に信を體するを要す。只だ信じ了はらば、天下に些子の事無し。
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『武士道』第六章 禮儀・誠を語ると礼を守ると試みに日本人に向ひ、誠を語ると、礼を守ると、いづれか重きやと問はば、彼れ必ずや、全く米人に相反するの辞を以て答とせんと云ふものあり。其説の当否はしばらく之を置き、次章『至誠』を説くの項下に於て、之に論及するものあらん。
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呂氏春秋・士容②齊に善く狗を相する者有り。其の鄰假いて以て鼠を取るの狗を買わんとす。期年にして乃ち之を得て、曰く、「是れ良狗なり。」其の鄰、之を畜うこと數年なれども、鼠を取らず。以て相する者に告ぐ。相する者曰く、「此れ良狗なり。其の志は獐麋豕鹿に在り、鼠に在らず。其の鼠を取らんことを欲せば、則ち之に桎せよ。」其の鄰、其の後ろ足に桎すれば、狗乃ち鼠を取る。夫れ驥驁の氣、鴻鵠の志、人心に諭らるる者有るは誠なればなり。人も亦た然り。誠之れ有れば則ち神、人に應ず。言豈に以て之を諭すに足らんや。此を不言の言と謂うなり。
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荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。