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童子問 / 卷下

問。先生常欲使孔孟之旨復明于天下。建言著書。犯千辛萬苦。而敢爲。而今信之者有矣。不信者有矣。或有甚議摘之者矣。奈何不能使其盡信。曰。學者當以不恥下問舍己從人爲志。苟有如此之志。則天下何善如之。予也第欲孔孟之旨復明于世。而不較其信不信。況欲其言之必行乎。苟有闡明孔孟之直指。明以告我者。是吾之所大欲聞也。吾將執鞭以從之。豈尤其譏我乎。孔子曰。丘也幸。苟有過。人必知之。凡人之不我信。不我服。皆吾誠之未孚也。惟當自修省焉耳。苟有人以至當之說告之。吾守我說而拒之。是自絕于善道也。是自戕害吾身也。予雖愚。未至如此人甚。予雖門人小子之說。苟有可取者。皆從之。解論語孟子。皆然。乃與門人商搉。衆議定。而後命之於書。若有不合於理者。卻之。是子之所識也。若夫以私心攻之。持私說難之。是吾之所不欲聞也。後世有有道之人出。必於吾言若合符節。是吾之所自恃也。子其諒焉。

新字:問。先生常欲使孔孟之旨復明于天下。建言著書。犯千辛万苦。而敢為。而今信之者有矣。不信者有矣。或有甚議摘之者矣。奈何不能使其尽信。曰。学者当以不恥下問舎己従人為志。苟有如此之志。則天下何善如之。予也第欲孔孟之旨復明于世。而不較其信不信。況欲其言之必行乎。苟有闡明孔孟之直指。明以告我者。是吾之所大欲聞也。吾将執鞭以従之。豈尤其譏我乎。孔子曰。丘也幸。苟有過。人必知之。凡人之不我信。不我服。皆吾誠之未孚也。惟当自修省焉耳。苟有人以至当之説告之。吾守我説而拒之。是自絶于善道也。是自戕害吾身也。予雖愚。未至如此人甚。予雖門人小子之説。苟有可取者。皆従之。解論語孟子。皆然。乃与門人商搉。衆議定。而後命之於書。若有不合於理者。却之。是子之所識也。若夫以私心攻之。持私説難之。是吾之所不欲聞也。後世有有道之人出。必於吾言若合符節。是吾之所自恃也。子其諒焉。

書き下し

問ふ、先生常に孔孟の旨をして復た天下に明らかならしめんと欲し、言を建て書を著し、千辛万苦を犯して敢へて為す。而るに今之を信ずる者有り、信ぜざる者有り、或いは甚だ議摘する者有り。奈何ぞ其をして尽く信ぜしむること能はざる、と。曰く、学者は当に下問を恥ぢず、己を舎てて人に従ふを以て志と為すべし。苟も此くの如きの志有らば、則ち天下何の善か之に如かん。予や第孔孟の旨をして復た世に明らかならしめんと欲して、其の信不信を較べず。況んや其の言の必ず行はれんことを欲せんや。苟も孔孟の直指を闡明して、明らかに以て我に告ぐる者有らば、是れ吾の大いに聞かんと欲する所なり。吾将に鞭を執りて以て之に従はんとす。豈に其の我を譏るを尤めんや。孔子曰く、丘や幸ひなり、苟も過ち有れば、人必ず之を知る、と。凡そ人の我を信ぜず、我に服せざるは、皆吾が誠の未だ孚ならざるなり。惟当に自ら修省すべきのみ。苟も人有りて至当の説を以て之に告げんに、吾我が説を守りて之を拒まば、是れ自ら善道を絶つなり。是れ自ら吾が身を戕害するなり。予愚なりと雖も、未だ此くの如く人甚だしきに至らず。予門人小子の説と雖も、苟も取るべき者有らば、皆之に従ふ。論語孟子を解するも、皆然り。乃ち門人と商搉し、衆議定まりて、而る後之を書に命ず。若し理に合はざる者有らば、之を卻く。是れ子の識る所なり。若し夫れ私心を以て之を攻め、私説を持して之を難ずるは、是れ吾の聞かんと欲せざる所なり。後世有道の人出でば、必ず吾が言に於て符節を合はするが若くならん。是れ吾の自ら恃む所なり。子其れ諒せよ。

現代語訳

問う。先生はつねに孔孟の趣旨をふたたび天下に明らかにしようとして、意見を立て書物を著し、千辛万苦をおかしてあえて行っている。それなのに今、これを信じる者もあれば、信じない者もあり、ひどくあげつらう者もある。どうして皆に信じさせることができないのか。答える。学ぶ者は、目下の者に問うことを恥じず、自分を捨てて人に従うことを志とすべきである。もしこのような志があれば、天下にこれ以上の善はない。私はただ孔孟の趣旨をふたたび世に明らかにしたいと思うだけで、人が信じるか信じないかを問題にしない。まして自分の言葉が必ず行われることを望んだりはしない。もし孔孟の真意を明らかにして、はっきりと私に告げてくれる者があれば、それこそ私が大いに聞きたいことである。私はその人のために鞭を執って御者となり、つき従おう。どうして私を譏ることをとがめようか。孔子は「丘(私)は幸いである。もし過ちがあれば、人が必ずそれを知らせてくれる」と言った。およそ人が私を信じず、私に服さないのは、みな私の誠がまだ人に信じられるに至っていないからである。ただ自ら修め省みるべきだけである。もし人がまったく正しい説を告げてくれたのに、私が自分の説を守って拒んだなら、それは自分から善い道を絶つことであり、自分で自分の身を傷つけることである。私は愚かではあるが、まだそれほどひどい人間にはなっていない。私は門人や若い者の説であっても、取るべきところがあれば、みなそれに従う。論語・孟子を解釈するのもみなそうである。門人と検討を重ね、皆の議論が定まってから、それを書物に記す。もし理に合わないものがあれば、それを退ける。これはきみも知っているところである。私心から攻撃し、私的な説に固執して非難するようなものは、私の聞きたくないものである。後世に道を知る人が現れれば、必ず私の言葉と割り符を合わせたように一致するだろう。これが私の自ら恃むところである。きみはどうか察してほしい。

解説

自説を信じない者や非難する者がいるのはなぜかと問われ、仁斎は他人を責めず、自らの姿勢を語る。下問を恥じず、己を捨てて人に従うことを志とし、孔孟の旨を明らかにする者がいれば鞭を執って従うとまで言う。人が自分を信じないのは自分の誠がまだ足りないからで、ただ自ら修め省みるべきだという。門人の説でも取るべきものは取り、皆で議論して定まったものだけを書に記したという述懐は、古義堂の学風を伝えて貴重である。ただし私心からの攻撃には耳を貸さない。批判を受けたとき、正しい指摘には素直に従い、自分の誠を省みることが、信頼を得る道だと教えている。

この章句が説くこと

誠修省下問学問議論謙虚

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