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慎思録 / 巻之二

孔子敎人。每就事實上做工夫。說心上工夫者少。孟子敎人。毎就心上做工夫。孟子繼述孔子之道者也。何故其立說之不同如此也。曰。聖賢敎人。隨時變而應人情。立箇門戶各自不同。然不害爲一道。葢孔子時。人心尙未甚至澆薄。其爲敎也。從彝倫上立說。孟子時人心既壞亂。故自心上指示耳。如與諸侯說政。將救民於塗炭之中。故其言辭直切端的。孔子之言。敎人之正道是爲經。孟子之言。救時之急務是爲權。所以不同。然孔子說仁。却是本源。孟子說集義。是自事上做工夫。非如後人說本則遺末。說事則廢心也。

新字:孔子教人。毎就事実上做工夫。説心上工夫者少。孟子教人。毎就心上做工夫。孟子継述孔子之道者也。何故其立説之不同如此也。曰。聖賢教人。随時変而応人情。立箇門戸各自不同。然不害為一道。葢孔子時。人心尚未甚至澆薄。其為教也。従彝倫上立説。孟子時人心既壊乱。故自心上指示耳。如与諸侯説政。将救民於塗炭之中。故其言辞直切端的。孔子之言。教人之正道是為経。孟子之言。救時之急務是為権。所以不同。然孔子説仁。却是本源。孟子説集義。是自事上做工夫。非如後人説本則遺末。説事則廃心也。

書き下し

孔子の人を教ふるは、毎に事実の上に就きて工夫を做し、心上の工夫を説く者少なし。孟子の人を教ふるは、毎に心上に就きて工夫を做す。孟子は孔子の道を継述する者なり。何の故に其の説を立つることの同じからざること此くの如きや。曰く、聖賢の人を教ふるは、時変に随ひて人情に応じ、箇の門戸を立つること各自同じからず。然れども一道為るを害せず。蓋し孔子の時は、人心尚ほ未だ甚だしくは澆薄に至らず。其の教へを為すや、彝倫の上より説を立つ。孟子の時は人心既に壊乱す。故に心上より指示するのみ。諸侯と政を説くが如きは、将に民を塗炭の中より救はんとす。故に其の言辞直切端的なり。孔子の言は、人を教ふるの正道にして是れ経為り。孟子の言は、時を救ふの急務にして是れ権為り。同じからざる所以なり。然れども孔子の仁を説くは、却って是れ本源なり。孟子の集義を説くは、是れ事上より工夫を做すなり。後人の本を説けば則ち末を遺れ、事を説けば則ち心を廃するが如きに非ざるなり。

現代語訳

孔子が人を教えるときは、いつも事実の上で工夫をさせ、心の上の工夫を説くことは少なかった。孟子が人を教えるときは、いつも心の上で工夫をさせました。孟子は孔子の道を受け継いだ人です。なぜその説の立て方がこのように違うのでしょうか。答えて言います。聖賢が人を教えるのは、時の変化に従い人情に応じるので、立てる門戸はそれぞれ異なります。しかし一つの道であることを妨げません。思うに孔子の時は、人の心はまだそれほど薄っぺらになっていなかったので、その教えは日常の人倫の上から説を立てました。孟子の時は人の心がすでに乱れていたので、心の上から指し示したのです。諸侯と政治を論じるときなどは、民を苦しみの中から救おうとしたので、その言葉はまっすぐで的確でした。孔子の言葉は、人を教える正しい道であって経(常の道)です。孟子の言葉は、時を救う急務であって権(臨機の道)です。これが違うわけです。しかし孔子が仁を説いたのは、かえって本源です。孟子が集義を説いたのは、事の上から工夫をさせるものです。後の人が、根本を説けば末を忘れ、事を説けば心を捨てるようなのとは違います。

解説

孔子と孟子の教え方の違いを、時代の違いから説明した条です。孔子は日常の行いから、孟子は心から教えたが、それは人心の乱れの度合いに応じた「経」と「権」の違いであって、道は一つだ、というのです。「集義」は『孟子』公孫丑上の浩然の気を養う工夫です。相手や時代が違えば教え方も変わる、しかし心と事のどちらか一方に偏ってはならない、という指摘は、部下の育成や子育てで、相手に合わせて伝え方を変えるときの心得になります。

この章句が説くこと

孔子孟子経権教育工夫

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