慎思録 / 巻之二
孟子之文七篇。皆是一人作。苟非孟子親作。則首尾一體。無些子瑕疵不能如此。是朱子所以史記爲近是之意。韓子謂。孟軻之書。非軻自著者。恐難信。
新字:孟子之文七篇。皆是一人作。苟非孟子親作。則首尾一体。無些子瑕疵不能如此。是朱子所以史記為近是之意。韓子謂。孟軻之書。非軻自著者。恐難信。
書き下し
孟子の文七篇は、皆是れ一人の作なり。苟も孟子の親ら作るに非ざれば、則ち首尾一体にして、些子の瑕疵無きこと此くの如くなること能はず。是れ朱子の史記を以て是に近しと為す所以の意なり。韓子謂ふ、孟軻の書は、軻の自ら著す者に非ず、と。恐らくは信じ難し。
現代語訳
『孟子』七篇の文章は、すべて一人の作です。もし孟子が自ら作ったのでなければ、始めから終わりまで一体で、少しの傷もないこのような書にはなりえません。これが、朱子が『史記』の説を真に近いとした意味です。韓子(韓愈)は「孟軻の書は、孟軻が自ら著したものではない」と言いましたが、おそらく信じがたいものです。
解説
『孟子』の作者をめぐる議論です。『史記』孟子荀卿列伝は、孟子が万章らと『孟子』七篇を作ったと記し、韓愈は「答張籍書」で、孟子の没後に弟子たちが記したものだとしました。朱子は文章の一貫性から前者を支持しており、益軒もそれに従っています。文体の統一から作者を推す方法は、今の文献学でも使われる考え方です。書物の成り立ちを考えることは、その言葉をどれだけ重く読むかにもかかわる、と気づかせてくれます。
この章句が説くこと
孟子考証読書文体朱子
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伝習録・答羅整菴少宰書孟子は楊・墨を闢きて「父無く、君無し」に至る。二子も亦た当時の賢者なり。孟子と世を並べて生まれしめば、未だ必ずしも之を以て賢と為さずんばあらず。墨子の兼愛は、仁を行いて過ぎたるのみ。楊子の為我は、義を行いて過ぎたるのみ。此れ其の説を為すも、豈に理を滅ぼし常を乱すの甚だしきにして、以て天下を眩ますに足らんや。而して其の流の弊は、孟子は則ち禽獣・夷狄に比す。所謂る学術を以て天下後世を殺すなり。今世の学術の弊は、其れ之を仁を学びて過ぎたりと謂わんか。之を義を学びて過ぎたりと謂わんか。抑も之を不仁・不義を学びて過ぎたりと謂わんか。吾、其の洪水・猛獣に於て何如なるかを知らざるなり。孟子云う、「予、豈に辯を好まんや。予、已むを得ざるなり」と。楊・墨の道、天下に塞がる。孟子の時、天下の楊・墨を尊信するは、当に今日の朱の説を崇尚するに下らざるべし。而して孟子は独り一人を以て其の間に呶呶たり。噫、哀しむべし。韓氏云う、「仏・老の害は楊・墨より甚だし」と。韓愈の賢は孟子に及ばず。孟子は之を未だ壊れざるの先に救う能わず。而して韓愈は乃ち之を已に壊れたるの後に全うせんと欲す。其れ亦た其の力を量らず、且つ其の身の危うくして之を救う莫くして以て死するを見るなり。嗚呼、某の若きは、其れ尤も其の力を量らず、果たして其の身の危うくして之を救う莫くして以て死するを見るなり。夫れ衆の方に嘻嘻たるの中にして、独り涕を出だして嗟若たり。挙世、恬然として以て趨るに、独り首を疾ましめ額を蹙めて以て憂いと為す。此れ其れ病狂喪心に非ずんば、殆ど必ず誠に大苦の其の中に隠るる有らん。而して天下の至仁に非ずんば、其れ孰か能く之を察せんや。其の『朱子晩年定論』を為るも、蓋し亦た已むを得ずして然り。中間の年歳の早晩は、誠に未だ考えざる所有り。尽くは晩年に出づるを必とせずと雖も、固より多くは晩年に出づる者なり。然れども大意は委曲調停して、此の学を明らかにするを以て重しと為すに在り。平生、朱子の説に於て、神明蓍亀の如し。一旦、之と背馳するは、心に誠に未だ忍びざる所有り。故に已むを得ずして此を為す。「我を知る者は、我が心の憂うるを謂う。我を知らざる者は、我、何をか求むと謂う」。蓋し朱子に牴牾するに忍びざるは、其の本心なり。已むを得ずして之と牴牾するは、道、固より是くの如し。「直からずんば則ち道は見れず」なり。執事の所謂る「決して朱子と異なる」とは、僕、敢えて自ら其の心を欺かんや。夫れ道は、天下の公道なり。学は、天下の公学なり。朱子の得て私すべきに非ざるなり。孔子の得て私すべきに非ざるなり。天下の公なり。公として之を言うのみ。故に之を言いて是ならば、己に異なると雖も、乃ち己に益あるなり。之を言いて非ならば、己に同じと雖も、適(まさ)に己を損なうなり。己に益ある者は、己、必ず之を喜ぶ。己を損なう者は、己、必ず之を悪む。然らば則ち某の今日の論は、或いは朱子に異なると雖も、未だ必ずしも其の喜ぶ所に非ずんばあらざらん。「君子の過ちは、日月の食の如し。其の更むるや、人皆な之を仰ぐ」。而して「小人の過ちや必ず文(かざ)る」。某は不肖なりと雖も、固より敢えて小人の心を以て朱子に事えざるなり。
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『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修孟子一部の書は、只だ是れ人心を正し、人に心を存し性を養い、其の放心を收めしめんことを要む。仁義禮智を論ずるに至りては、則ち惻隱・羞惡・辭讓・是非の心を以て之が端と爲す。邪說の害を論ずれば則ち曰く、其の心に生じて其の政に害ありと。事君を論ずれば則ち君心の非を格して君を正して國定まらんことを欲す。千變萬化、只だ心上より來たるを説く。人能く心を正さば、則ち事は爲すに足る者無し。大學の身を修め家を齊え國を治め天下を平らかにするは、其の本は只だ是れ心を正し意を誠にするのみ。心其の正を得て、然る後に性の善を知る。孟子は人に遇えば便ち性善を道う。
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