慎思録 / 巻之二
程子曰。外面事。不患不知。只患不見自己。愚謂。今人於外事之雜細。要一一研究。特於自己心身上。都不點檢。雖有過失凶德。而不能知。繇改過遷善之志不誠也。可謂不見自己矣。
新字:程子曰。外面事。不患不知。只患不見自己。愚謂。今人於外事之雑細。要一一研究。特於自己心身上。都不点検。雖有過失凶徳。而不能知。繇改過遷善之志不誠也。可謂不見自己矣。
書き下し
程子曰く、外面の事は、知らざるを患へず。只だ自己を見ざるを患ふ、と。愚謂ふ、今人は外事の雑細に於て、一々研究せんことを要す。特に自己の心身の上に於て、都て点検せず。過失凶徳有りと雖も、知ること能はず。改過遷善の志の誠ならざるに繇るなり。自己を見ずと謂ふべし。
現代語訳
程子は「外の事は、知らないことを心配しなくてよい。ただ自分自身が見えていないことを心配せよ」と言いました。私が思うに、今の人は外の事の細々したことを、一つ一つ研究しようとします。ところが自分の心と身のことは、まったく点検しません。過失や悪い性癖があっても、気づくことができません。過ちを改め善に移ろうとする志が誠でないからです。自分が見えていないと言うべきです。
解説
外の知識ばかり求めて自分を省みない学び方を戒めた条です。程子の言葉は『二程遺書』に見えます。「改過遷善」は『易経』益卦の象伝の「善を見れば則ち遷り、過ち有れば則ち改む」に由来します。情報収集や業界研究には熱心でも、自分の話し方の癖や判断の偏りには無頓着、ということはよくあります。外の世界を知ることと同じくらい、自分を点検する時間を取っているか、を問いかける一条です。
この章句が説くこと
省察改過自己点検学問
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