師導古典を学びたいすべての人に

慎思録 / 巻之二

漢宣帝時。夏侯勝黃覇因直言倶下獄。覇於獄中欲從勝受尙書。勝辭以罪死。覇曰。朝聞道夕死可矣。勝賢其言。遂授之。宋將亡。帝昺八歲即位。陸秀夫於船中。猶自書大學章句。以勸講。此皆衆人之所以爲迂濶。而不切於事情。而君子之所獨行也。夫志士忠臣之所爲。常以死生存亡不易其操。不失其道如此。葢以道也者不可須臾離也。若二子之所爲。可謂處變而不失常者也。可以爲後世之則。

新字:漢宣帝時。夏侯勝黄覇因直言倶下獄。覇於獄中欲従勝受尚書。勝辞以罪死。覇曰。朝聞道夕死可矣。勝賢其言。遂授之。宋将亡。帝昺八歳即位。陸秀夫於船中。猶自書大学章句。以勧講。此皆衆人之所以為迂濶。而不切於事情。而君子之所独行也。夫志士忠臣之所為。常以死生存亡不易其操。不失其道如此。葢以道也者不可須臾離也。若二子之所為。可謂処変而不失常者也。可以為後世之則。

書き下し

漢の宣帝の時、夏侯勝、黄覇は直言に因りて倶に獄に下る。覇は獄中に於て勝に従ひて尚書を受けんと欲す。勝は罪死を以て辞す。覇曰く、朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり、と。勝は其の言を賢として、遂に之を授く。宋将に亡びんとするや、帝昺八歳にして即位す。陸秀夫は船中に於て、猶ほ自ら大学章句を書して、以て講を勧む。此れ皆衆人の以て迂闊にして事情に切ならずと為す所にして、君子の独り行ふ所なり。夫れ志士忠臣の為す所は、常に死生存亡を以て其の操を易へず、其の道を失はざること此くの如し。蓋し道なる者は須臾も離るべからざるを以てなり。二子の為す所の若きは、変に処して常を失はざる者と謂ふべし。以て後世の則と為すべし。

現代語訳

漢の宣帝の時、夏侯勝と黄覇は直言したためにともに獄につながれました。黄覇は獄中で夏侯勝から『尚書』を教わりたいと願いましたが、夏侯勝は死罪になる身だからと断りました。黄覇が「朝に道を聞けば、夕べに死んでもよい」と言うと、夏侯勝はその言葉を立派だと思い、ついにこれを授けました。宋が亡びようとした時、帝昺は八歳で即位しました。陸秀夫は船の中で、なお自ら『大学章句』を書いて講義を勧めました。これらはみな、多くの人が回りくどく実情に合わないと考えることで、君子だけが行うことです。志ある士や忠臣のすることは、いつも生死存亡によってその節操を変えず、その道を失わないことこのようです。思うに、道はしばらくも離れてはならないものだからです。この二人の行いは、非常の時にあって平常を失わなかったと言うべきです。後の世の手本とすべきです。

解説

死を前にしても学問をやめなかった二つの話を引いた条です。夏侯勝と黄覇の話は『漢書』夏侯勝伝に、南宋最後の帝昺に仕えた陸秀夫の話は『宋史』陸秀夫伝に見えます。黄覇の言葉は『論語』里仁篇、「道は須臾も離るべからず」は『中庸』第一章です。極限の状況でも普段どおり学ぶ姿は、世間からは迂遠に見えても、道が非常時にも手放せないものであることを示しています。苦境の時こそ日々の型を崩さないことが、人を支えるのだと教えてくれます。

この章句が説くこと

聞道処変節操学問

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる