慎思録 / 巻之二
常人之情。雖或厚之於始。然往往薄之於終。不能保其久。君子則不然。其愛敬於人也。久而不衰。終始如一。與人交之道。當如此。是敦善行而不怠也。大抵君子小人之所別。在厚薄之間而巳矣。
新字:常人之情。雖或厚之於始。然往往薄之於終。不能保其久。君子則不然。其愛敬於人也。久而不衰。終始如一。与人交之道。当如此。是敦善行而不怠也。大抵君子小人之所別。在厚薄之間而巳矣。
書き下し
常人の情は、或いは之を始めに厚くすと雖も、然れども往々にして之を終はりに薄くし、其の久しきを保つこと能はず。君子は則ち然らず。其の人を愛敬するや、久しくして衰へず、終始一の如し。人と交はるの道は、当に此くの如くすべし。是れ善行を敦くして怠らざるなり。大抵君子小人の別るる所は、厚薄の間に在るのみ。
現代語訳
普通の人の情は、初めは厚くしても、しばしば終わりには薄くなり、長く保つことができません。君子はそうではありません。人を愛し敬うことが、長くたっても衰えず、始めから終わりまで一つのようです。人と交わる道はこのようであるべきです。これが善い行いを厚くして怠らないということです。おおむね君子と小人が分かれるのは、厚いか薄いかの間にあるだけです。
解説
人付き合いは初めに熱く終わりに冷めがちだが、君子は終始変わらない、という条です。「善行を敦くして怠らず」は『礼記』曲礼上の言葉で、君子の条件として挙げられています。『詩経』大雅・蕩の「初め有らざる靡し、克く終はり有る鮮なし」とも同じ趣旨です。取引先や友人、新しく入った部下に最初だけ丁寧で、慣れると粗末になっていないか。関係を長く保つことこそ人柄の表れだ、という指摘は、身近な人間関係にそのまま響きます。
この章句が説くこと
交友厚薄終始敬信
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