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国語 / 晋語五

靈公虐,趙宣子驟諫,公患之,使鉏麑賊之,晨往,則寑門辟矣,盛服將朝,早而假寐。麑退,歎而言曰:「趙孟敬哉!夫不忘恭敬,社稷之鎮也。賊國之鎮不忠,受命而廢之不信,享一名於此,不如死。」觸庭之槐而死。靈公將殺趙盾,不克。趙穿攻公於桃園,逆公子黑臀而立之,實為成公。

新字:霊公虐,趙宣子驟諫,公患之,使鉏麑賊之,晨往,則寑門辟矣,盛服将朝,早而仮寐。麑退,嘆而言曰:「趙孟敬哉!夫不忘恭敬,社稷之鎮也。賊国之鎮不忠,受命而廃之不信,享一名於此,不如死。」触庭之槐而死。霊公将殺趙盾,不克。趙穿攻公於桃園,逆公子黒臀而立之,実為成公。

書き下し

霊公虐なり。趙宣子驟(しばしば)諫む。公之を患え、鉏麑(しょげい)をして之を賊せしむ。晨(あした)に往けば、則ち寝門辟(ひら)けり。盛服して将に朝せんとし、早くして仮寐(かび)す。麑退き、歎じて言いて曰く、「趙孟は敬なるかな。夫れ恭敬を忘れざるは、社稷の鎮なり。国の鎮を賊するは不忠、命を受けて之を廃するは不信、一名を此に享(う)けんよりは、死するに如かず」と。庭の槐(えんじゅ)に触れて死す。霊公将に趙盾(ちょうとん)を殺さんとして、克(よ)くせず。趙穿(ちょうせん)公を桃園に攻め、公子黒臀(こくでん)を逆(むか)えて之を立つ、実に成公為り。

現代語訳

晋の霊公は暴虐であった。趙宣子はたびたび諫めた。公はこれを疎ましく思い、力士の鉏麑に宣子を殺させようとした。鉏麑が明け方に出向くと、寝所の門はもう開いていた。宣子は朝廷に出る正装を整え、まだ時刻が早いので、冠も帯も解かずに座ったまま仮眠していた。鉏麑は引き下がり、嘆いて言った。「趙孟はなんとつつしみ深い人だろう。恭敬を忘れない者こそ、国の重しである。国の重しを殺せば不忠であり、命令を受けながら果たさなければ不信である。そのどちらか一つの汚名をここで受けるくらいなら、死んだほうがましだ。」そして庭の槐の木に頭を打ちつけて死んだ。霊公はなおも趙盾を殺そうとしたが、果たせなかった。やがて趙穿(趙盾の一族の大夫)が桃園で霊公を攻め殺し、公子黒臀(文公の子)を周から迎えて立てた。これが成公である。

解説

魯の宣公二年(前607)、晋の霊公が、たびたび諫める執政趙盾を殺そうとした話である。刺客の鉏麑が夜明けに屋敷へ出向くと、趙盾は正装して参内の時を待ちながら、座ったまま仮眠していた。その姿に打たれた鉏麑は、殺せば忠を失い、殺さなければ命令に背いて信を失うと悩み、槐の木に頭を打ちつけて自ら死んだ。韋昭注は「一名を享く」を、どちらを選んでも一つの悪名を受けることと読む。暗殺者の手さえ止めさせたのは、誰も見ていない明け方にも崩れない趙盾の敬であった。『春秋左氏伝』宣公二年にも同じ話があり、その後、霊公は酒宴に伏兵を置いて趙盾を襲うが失敗し、趙穿が霊公を殺す。太史の董狐はこれを「趙盾其の君を弑す」と記し、孔子は董狐を古の良史と称えた。日々の振る舞いの一貫性は、ときに敵の心さえ動かすのである。

この章句が説くこと

国語晋語敬忠信

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