慎思録 / 巻之二
古來才良行修者不鮮焉。如屈原張子房諸葛武侯陸宣公韓魏公范文正公司馬溫公諸賢。皆是王佐之才。可謂振古豪傑之士也。然今誦其言讀其書。恐未可爲知道之人。然則聞道一事。可謂至難也。
新字:古来才良行修者不鮮焉。如屈原張子房諸葛武侯陸宣公韓魏公范文正公司馬温公諸賢。皆是王佐之才。可謂振古豪傑之士也。然今誦其言読其書。恐未可為知道之人。然則聞道一事。可謂至難也。
書き下し
古来才良く行ひ修まる者は鮮なからず。屈原、張子房、諸葛武侯、陸宣公、韓魏公、范文正公、司馬温公の諸賢の如きは、皆是れ王佐の才にして、振古の豪傑の士と謂ふべきなり。然れども今其の言を誦し其の書を読むに、恐らくは未だ道を知るの人と為すべからず。然らば則ち道を聞くの一事は、至難と謂ふべきなり。
現代語訳
昔から、才能が優れ行いの整った人は少なくありません。屈原・張子房(張良)・諸葛武侯(諸葛亮)・陸宣公(陸贄)・韓魏公(韓琦)・范文正公(范仲淹)・司馬温公(司馬光)といった賢人たちは、みな王を補佐する才を持ち、昔から稀な豪傑の士と言うべきです。しかし今、その言葉を唱えその書を読んでみると、おそらくまだ道を知った人とすることはできません。そうであれば、道を聞き知るという一事は、この上なく難しいと言うべきです。
解説
歴史上の名臣たちでさえ「道を知る人」とまでは言えない、と述べて、道を聞くことの難しさを強調した条です。挙げられるのは戦国楚の屈原、漢の張良、蜀の諸葛亮、唐の陸贄、北宋の韓琦・范仲淹・司馬光と、いずれも忠臣・名宰相として名高い人物です。朱子学では、才能や功業と、道を体得することとをはっきり分けます。仕事で大きな成果を上げることと、人としての筋道を深く理解することは別物だ、という指摘は、成功者を見る目を少し変えてくれます。
この章句が説くこと
道聞道才豪傑学問
関連する章句
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『慎思録』巻之二大凡そ道を聞くこと、亦た各々禀性の高下に随ひて浅深有るのみ。然れども其の生質通明淳正の士に非ざれば、則ち殆ど此に到ること易からず。偏僻蔽昧の徒は、聞くこと能はざる所なり。故に力を経術に用ゐること数十年と雖も、亦た未だ其の藩籬を窺ふこと能はざる者有り。是れ章句の習、訓詁の学と謂ふべきなり。
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『慎思録』巻之五凡そ事は必ず咨訪して後に明らかなり。故に曰く、問ふことを好めば則ち裕かなり、と。必ず経歴して後に熟す。故に曰く、一事に躓く者は一智を長ず、と。苟も咨訪せずして自ら用ひ、経歴せずして妄りに行へば、亦殆ふいかなと曰ふ。朱子曰く、学は道を知るを以て本と為す。道を知れば則ち学純にして心正し、と。愚謂ふ、是れ学を為すの本旨なり。学者の志を立つる、宜しく此くの如くなるべし。蓋し学は将に以て道を知らんとす。苟も学を為して、道を知るを以て本と為さずんば、博学広聞すと雖も益無く、徒に心思を労するのみ。所謂多しと雖も亦奚を以て為さんといふものなり。夫れ道を知るは固より極めて難し。然れども道を知るを以て志と為さざれば、則ち学を為すこと駁雑にして純一ならず、心を立つること邪僻にして平正ならず。其の本を失ふに因るなり。然らば則ち宏才博聞の人に逾ゆる有りと雖も、儒者の学と為すべからず。百家衆技の流と相同じきを免れず。此れ即ち俗学の習ひにして、亦貴しと為すに足らず。若し乃ち朱子の言を以て之を反覆して言はば、道を知らんと欲すれば、則ち先づ須らく学純にして心正しきを要すべし。苟も学雑にして純一ならず、心正しからずして邪僻なれば、則ち道と相乖戻す。何を以てか道を知るを得んや。
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